From left: Image courtesy of Gucci; Photo by KAMMERMAN/Gamma-Rapho via Getty Images; Photo by Amy Sussman/Getty Images; Photo by Mehdi Taamallah/NurPhoto via Getty Images; Photo by Karl Prouse/Catwalking/Getty Images

ファッションの〈型〉を葬り去ったZ世代

エディ・スリマン期のSaint Laurentのスモーキーアイが印象的なロックシックスタイル、フィービー・ファイロの建築家……。かつて一世を風靡したファッション界のミューズはどこに消えたのか?

by Biz Sherbert; translated by Nozomi Otaki
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08 June 2021, 5:23am

From left: Image courtesy of Gucci; Photo by KAMMERMAN/Gamma-Rapho via Getty Images; Photo by Amy Sussman/Getty Images; Photo by Mehdi Taamallah/NurPhoto via Getty Images; Photo by Karl Prouse/Catwalking/Getty Images

つい最近まで、ほぼすべてのファッションブランドやデザイナーは自分だけの女性像──多くの場合はその価値観やヴィジョンを肉体的にも精神的にも体現する架空のミューズ──を有していた。デザイナーが彼女の具体的で意欲的なライフスタイルについて、テニスをする、髪を風になびかせるのが好き、裸足で砂浜を歩く、職業は建築家、などと熱弁を振るうことも珍しくなかった。

しかし、ここ数年で状況は変わりつつある。ファッション業界にインクルーシビティの時代が到来するなか、デザイナーが特定の女性像ひいてはターゲットにする顧客について語ることに消極的になっているのだ。いっぽう、ファッションにおけるロゴマニアの再来は、今まで以上にブランディングが求められていることを示唆している。ここから、ひとつの疑問が提起される。2021年においてブランドを体現するとは、どういうことなのだろう。

Balmain ArmyとGucci Gangがファッション界を支配するよりずっと前、いくつかの由緒ある大手ブランドがある型(アーキタイプ)を打ち出した。それを〈ブランデッド・ウーマン〉と呼ぶことにしよう。この概念は、かつてあらゆるデザイナーを虜にしたモダン・ウーマン(現代的な女性)のイメージから生まれたものだ。

この女性像について語るとき、デザイナーは各々ブランド名を冠した。例えば、最初期に大手メゾンから発表されたアーキタイプのひとつが〈Chanelウーマン〉だ。ココ・シャネルはライフスタイル全体をデザインし、売り出した。女性は身体と同じように、オーラや立ち居振る舞いも〈着飾る〉ことができると謳ったのが、Chanelの唯一無二のアピールポイントだった。彼女はメンズウェアからインスパイアされた、メゾンを象徴するセパレーツから成るChanelのルックを完成させるため、女性の生活のあらゆる面を〈シャネル化〉することを推奨したのだ。

同様に、クリスチャン・ディオールがChanelの理想とは対照的な、ウエストを細く絞った〈ニュールック〉を取り入れたことをきっかけに、1947年、Diorの女性像が誕生した。ふたりのクチュリエはライバルとなり、それぞれの相反する女性らしさの哲学は、独自のアーキタイプへと発展していった。

Chanelの思慮深さと何にも囚われない独立心、Diorのコケティッシュなロマンスの追求は、女性が服の好みだけでなく、自らのセルフイメージを定義する正反対のアーキタイプとなった。服を買う余裕のない女性たちは、メゾンの香水を身にまとって香りでそれを表現した。

A woman wearing a fitted Black Dior Dress, shot against a light pink back drop
Christian Dior's 'New Look'. Photo by KAMMERMAN/Gamma-Rapho via Getty Images

“「米国では戦後の好景気によって、中流階級の消費者でも、手に届くブランドを通して自分を表現できるようになりました」と説明するのは、20世紀の理想的な女性らしさを専門とするファッション史研究家のキャロライン・エレノウィッツ=ヘスだ。

「ブランデッド・ウーマンとは双方向的なもので、ブランドが広告やミューズを通して彼らが理想とする人物を消費者に提示し、雑誌の読者や買い物客も自分をその理想に基づく存在とみなし、ブランデッド・ウーマンを自認するのです」

女性が自分自身とワードローブをたったひとりのデザイナーに完全に委ねることができれば(同時にデザイナーが自分に貢献してくれているという実感を持てば)、彼女のステータスはさらに高くなった。

クリストバル・バレンシアガは、「上流階級の女性は、ただひとりの仕立て屋をひいきにするまではエレガントにはなり得ない」という有名な言葉を残している。1968年、バレンシアガが「もう正装が必要なひとはいない」と宣言してメゾンを閉鎖すると、社交界の著名人で献身的なパトロンだったモナ・ボン・ビスマルクは、3日間部屋にこもって泣き通したといわれている。

“The narrow constraints of the branded woman came to stand in conflict with the increasingly inclusive conditions of contemporary fashion.”

 ブランデッド・ウーマンの厳しい制約は、現代ファッションにおけるインクルーシビティの重視と真っ向から対立する。

このアーキタイプは、1990年代に入るまで再考されることはほぼなかった。しかし、さまざまな要素を組み合わせるミックスアンドマッチが人気を博すと、ブランデッド・ウーマン神話の一強時代に陰りが見え始めた。

アナ・ウィンターが初めて手がけた1988年11月の『Vogue』の表紙は、「ハイファッション(Christian Lacroixのクチュール)とローファッション(アシッドウォッシュジーンズ)の組み合わせによって、デザイナーの完璧なルックよりも技巧的なミックスの素晴らしさを強調したことで、スタイリングの転機となった」とキャロラインは説明する。

それ以降、ひとつのブランドに絞るのではなく複数のブランドの多様なアイテムを組み合わせるほうが意欲的だとみなされるようになったという。もちろん、ブランド信仰が完全に消えたわけではない。Tommy Hilfigerを愛用したアリーヤからトム・フォード期のGucciを一途に愛し続けたマドンナまで、90年代から2000年代はじめにかけて、ロゴマニアがファッション界を席巻するなか、ブランド信仰を象徴する重要な瞬間が訪れる。

Madonna at VMAs 1995 in Tom Ford's Gucci
Photo by Kevin Mazur Archive/WireImage

結局のところ、ブランデッド・ウーマンの厳しい制約は、現代ファッションにおけるインクルーシビティの重視と真っ向から対立する。20世紀のデザイナーは、彼ら彼女らの理解が及ぶ範囲で、新しい、微妙な違いを有する女性のための服をつくると誓ったものの、その女性像はずっと変わらなかった。確かに、彼女の好みは多種多様だったかもしれないが、それはいつもほっそりとした裕福な白人で、大抵の場合はヨーロッパ系の売れっ子建築家やアーティストなど、魅力的で創造性に富んだ女性起業家を指していた。

 いまだにこのようなイメージを売り出そうとしているウィメンズデザイナーもいるにはいるが、ファッション業界で多様性と平等を求める声が増え続けた結果、それを率直に口に出すことは〈トレンド〉ではなくなった。ブランドがより広い、多様なオーディエンスを表象し、彼女たちに訴えかけるためには、これまでのような排他的なアプローチでは、理想とする女性を引き込むことはできないのだ。

 さらに、ファッションブランドが世界規模で展開するなか、世界中の女性に売り込むためには、より広範な市場に訴求する必要がある。ミウッチャ・プラダも、「今の世界はとても複雑で、いろんな人、国、宗教が数え切れないほど存在する。これまでずっと言ってきたことですが、そう実感するようになりました。画一的なヴィジョンを持つことはできないんです」と昨年7月に語っている。

 さらに、保守的なブランデッド・ウーマン像は、現代文化のなかで大きく変化したアイデンティティ表現とも相いれない。インターセクショナリティにまつわる対話が増えるにつれ、アイデンティティを理解するための枠組みもより複雑になっている。かつてアイデンティティは不変で自動的に決まると考えられていたが、今では流動的で多元的なものとみなされる。一個人が同時に複数の社会的アイデンティティを表現することも、その認識が時とともに変化することも当たり前になっている。

A model wearing a full look from Richard Malone's AW21 collection
Richard Malone AW21. Photography Isabel Garrett. Image courtesy of Richard Malone
 

「現代の消費者は、ひとつの美学やトレンドに縛られません。アイデンティティに対する考えは流動的で、さまざまな価値観を内包しています」と語るのは、クリエイティブスタジオ/コンサルティング会社〈The Digital Fairy〉の創設者イヴ・リーだ。画一的な女性像を理想として掲げるブランドは、自らのアイデンティティを外見に表れているものよりも複雑で、可変的なものだと考える人びとを排除するリスクがあるという。

 「美しさのトレンドが目まぐるしく移り変わり、アイデンティティが徹底的に細分化される時代において、ひとつの型にはまった女性に向けたデザインを提示するブランドは、アイデンティティ表現の真の意味での多様性を打ち出すブランドに取って代わられるでしょう」と〈Fashion Snoops〉の文化・消費者分析ディレクター、カレラ・カーニックは指摘する。

 “People are fatigued of being told a way to be — a representation of self — that is, of course, impossible.” — Richard Malone

 「人びとは〈こうあるべき〉と自己表現を押し付けられることにうんざりしている。そもそも、そんなものは存在するはずがないんです」──リチャード・マローン

確かに、現代を代表する進歩的なデザイナーのほとんどは、制作過程やマーケティングにおいてブランデッド・ウーマンをことごとく否定している。自らが育ったという女性主体の安全な空間から着想を得た最新コレクションを発表したばかりのロンドンを拠点とするデザイナー、リチャード・マローンは、このブランデッド・ウーマンという概念が「女性が断固として拒んできたにもかかわらず、ブランドが繰り返し女性たちにその存在を信じさせようとしてきた、理想化された女性像をつくりだす」と説明する。

 「人びとは〈こうあるべき〉と自己表現を押し付けられることにうんざりしている。そもそも、そんなものは存在するはずがないんです」

 明確な〈Richard Maloneの女性像〉を打ち出してブランドファンをその方向へ導くのではなく、リチャードは共に働く女性たちとの対話や、彼女たちひとりひとりの要望とニーズに注意深く耳を傾けることで、クライアントを理解することを最優先している。彼にとって、このプロセスは必要不可欠で、やりがいがあるものだという。

 ある意味、リチャードの細やかなアプローチは、前述した昔ながらのクチュリエのアプローチへの回帰にも近しいといえるだろう。ただ、後者との決定的な違いは、多様なクライアントの要望を反映し、取り入れることで、インクルーシビティを意識している点だ。

 しかし、デザイナーも消費者もこれらのアーキタイプに幻滅しているとしたら、数々の神話を生み出してきたファッション業界において、いったい何がその揺るがない地位を奪ったのだろう。実は、アーキタイプが完全に過去の物になったというには、まだ時期尚早かもしれない。Z世代のロゴへの愛がその証拠といえるだろう。しかし、この風潮は、単なるロゴマニアのリバイバル以上の意味を持つ。

 多様性と個性がますます重視されるファッション業界において、ブランドと関わるもっとも直感的な方法は、そのブランドのデザイン観を体現する努力をするのではなく、無造作にロゴを身につけることだ。例えばビリー・アイリッシュは、アカデミー賞授賞式に全身Chanelで出席した。彼女の服装は、アクリルネイルを含め、すべて同ブランドのモノグラムがあしらわれていた。

 “The branded woman has been replaced by a series of aesthetic designations that allow for more flexibility and room for play.” — Carrera Kurnik

 「ブランデッド・ウーマンという概念は、より柔軟で遊びの余地のあるさまざまな美学に取って代わられました」──カレラ・カーニック



この業界でコンスタントになされているコラボレーションも、私たちがブランドコンセプトの新時代に突入したことを証明している。シーズンごとにバラエティ豊かなラインナップが発表され、その内容はますます大規模かつ大胆になっている。ロゴを前面に押し出したGucciとBalenciagaの革新的なパートーナーシップは、ブランディングがこれまで以上に重要な意味を持つようになったことを明示している。

 真の意味で今日的な意義を追求するブランドは、美学にまつわる文化の現状、すなわち現代の消費者の、さまざまな美学と自分に関連するアイデンティティを転々と渡り歩く傾向を考慮に入れなければならない。「ブランデッド・ウーマンという概念は、より柔軟で遊びの余地のあるさまざまな美学に取って代わられました」とカレラは説明する。

 若者にとって、ブランドを体現することはもはや唯一の理想ではない。コテージコアやリージェンシーコア(※Netflixドラマ『ブリジャートン家』の英国摂生時代のファッションに端を発するTiktokのトレンド)のような美学を体現することも、同様に憧れの的となり、これらの美学のブームは短期間で終わる傾向にある。

 その風潮を後押ししているのがSNSだ。特にTiktokのようなコンテンツが高速で流れていくアプリでは、たった数件の投稿で別の美学へとシフトすることも珍しくない。さらに、これらの美学はすべてオンラインにあり、誰でもアクセスできるということは、それを取り入れるひとなら誰でも手を加えられることを意味している。このような美学のガイドラインは、可変的で絶えず変化し続けるからこそ、Z世代の流動的なアイデンティティ観に合致しているのだ。

A model wearing Celine SS10
Celine SS10. Photo by Karl Prouse/Catwalking/Getty Images

これは、美学以外の事象にも当てはまる。「ほとんどの買い物をH&Mでしなければならないとしても、気持ちの上ではミニマリズムを愛するCelineウーマンになることも可能です」と〈MADE Trends〉のシニアトレンド予報士、ジャッキー・チーコインは指摘する。つまり、デザイナーはかつてのようなトレンドやルックへの影響力を失いつつあるということだ。

 「かつてラグジュアリーブランドは絶大な影響力を誇り、厳密に管理されたタッチポイント(※ブランドと顧客を結ぶ接点)を通して独自性を育むことができました」とイヴは説明する。それをインターネットが一変させた。今ではPinterestを数回クリックしたり、Instagramで数人をフォローしさえすれば、誰でも美学のインスピレーション源を自由に選び取ることができる。

 結局、ブランデッド・ウーマンはずっとただの神話に過ぎず、SNSで誰もが自らの神話を作れる時代において、完全に足場を失った。彼女の後を継ぐのは、クチュリエのスタジオや似たような意見ばかりが飛び交う会議室でつくられる人物像ではなく、ミームやムードボードを通してオンラインで生まれ、形づくられる、女性たちの絶えず変化するリールであり、そこにロゴのような象徴的意味があってもなくても、Eガール、VSCOガール、Christian Girl Autumn(※夏の暑さにうんざりして秋を待ち望む女性たちのミーム)などが、現代の目まぐるしく移り変わる憧れを席巻している。

A model walking the runway of Gucci's Aria show wearing a Gucci x Balenciaga collaboration look
Gucci Aria. Image courtesy of Gucci.
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