photo by Alejandro Ghersi 

ジェシー・カンダ interview:ふわふわな真実を求めて

種やジェンダーが融和した異形のグラフィック作品で、世界中に熱狂的なファンを獲得しているジェシー・カンダ。その比類なき美学はどこから生まれたのか? “現代最高のビジュアル・アーティスト”との呼び声も高い彼に、i-Dは本邦初となるインタビューを敢行。ジェシーがグラフィックを始めたきっかけや盟友Arcaとの出会い、ドキュメンタリーが彼の世代に与える影響を語る。

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02 November 2017, 8:56am

photo by Alejandro Ghersi 

「インタビューがこわいときもあった」。ジェシー・カンダはめったに取材に応じない。今回が人生で3度目のインタビューだという。「する意味もわからなくて。作品のことを聞かれても、美しいものを作っているだけで意味はないって答えてた」

ヴィヴィッドな赤や死を思わせる黒を基調に、歪んだ輪郭の生き物(モンスター)がどこか淋しげなまなざしを向けている。動画のなかで、それらは奇妙な動きをともなってよりいっそう異質さを増し、観るものの感覚を刺激する。生と死、男と女、ヒトと動物、それらすべてが混然一体となった異形のグラフィック。ジェシー・カンダは、数多くのグラフィック作品やミュージック・ビデオの監督を手がける現代屈指のビジュアル・アーティストだ。

一見すると彼の作品にはグロテスクなものも多い。しかし、そこには見続けたいと思わせるような不思議な魅力がある。「人間はどういうものを怖がるのかに興味がある」とジェシーはいう。「怖れ(フィア)を美しく思わせることはできるのかってことに挑戦したいというか。人間が怖いと思うものまで橋をかけるような感覚です」。観るものを"怖れ"や"醜さ"の対象と対峙させ、それを美しいものへと変容させること。それは彼の作品のテーマのひとつであり、また創作への動機にもなっている。彼はこう付け加える。「つらいことがあったらそれは絶対に何倍にもいいことに変身することを例えてる、みたいな」

Jesse Kanda「sacrifice」

1987年、ジェシーは神奈川県逗子市に生まれる。小さい頃は漫画をよく読む子どもだった。なかでも『はだしのゲン』の読書体験は鮮烈だったようで、記憶に焼きついたその絵柄はいまでも鮮明に覚えているという。12歳のときにカナダへ引っ越すが、それ以来、彼は10年間一度も日本に帰国することはなかった。「そのときは子どもだったし、環境が変わっても楽しめたんだけど」と、ジェシーは当時を振り返る。「でも後から考えるとけっこう影響を受けたのかもしれない。引っ越したあとはほぼ毎日、日本の夢を見てた。いまでも夢のロケーションで一番多いのは日本だからね」。幼少期に体験したこの引っ越しは創作にも影響しているという。「つくっているものにすごくつながっていると思うんですよ。起きているときの世界はみんな同じ。感じ方は違うけど、同じ世界にはいるでしょ? でも夢の中ではみんなそれぞれ違う世界をもっていて、そこにはだれも入れない。自分だけの世界。そこには自分が惹かれることとか気になっていることがあって、その夢の世界観というか、自分の作った世界に惹きつけられるんですよね」

彼がグラフィック作品をつくり始めたのも引っ越して間もない頃だったという。「小さい頃から音楽をつくっていたんだけど、それをウェブサイトにあげるときにCDのジャケットアイコンが必要で、なんかつくんなきゃって始めたの。13歳だったらそう考えるでしょ? デザイナーなんて雇えないから(笑)」

Jesse Kanda「brothers」

ジェシーは15歳で運命的な出会いを果たす。「アレックス(アルカ)が13歳、僕が15歳のときにネット上で知り合いました。ふたりともパソコンオタクだったから(笑)。僕はカナダで、彼はベネズエラにいたんだけど、お互いの作品が好きで毎日チャットしてた。それからはずっと親友。実際に初めて会ったのは20代になってからだけどね」。ジェシーは、アルカがリリースしている3枚のアルバム『Xen』『Mutant』『Arca』のアートワークをすべて手がけ、また多くのMVの監督も務めている。

2013年には現代美術館MoMAPS1で共同製作のアートプロジェクトも発表した。ふたりは互いに切磋琢磨しあう仲であると同時に、バランスを取り合っているのだとジェシーはいう。「お互いに相手が持っていないものを持ってる。それは素晴らしいことだよね。5年間一緒に住んでいるけど、いつも自分らしくいられるし、ずっと一緒にいても疲れない。退屈したことなんて一度もない。こういう関係って珍しいし、すごく変わってると思う」。しかし、こうも付け加える。「僕たちは恋愛で言われるような"ニコイチ"みたいな関係じゃない。それぞれが個人として独立していて、同時にひとつでもあるような結びつきなんだよね。お互いに頼りきっていないくらいが一番パワフルな関係性なんだと思う」。単に"コラボレーション"というだけでは収まりきらない、豊かな連帯がそこには存在しているのだ。

「あっ!」ジェシーが思いついたように声を上げる。「クッキー、持ってきたの忘れてた」。取材にお土産をもってきてくれるインタビュイーがどれだけいるだろう。彼の作品のイメージからすると意外に思うかもしれない。だけど、これがジェシー・カンダなのだ。実際に会えば、数分とかからず誰もがその人柄の良さに惹かれるはずだ。

Jesse Kanda「fawn」

アート作品も多くの支持者を得ている。クリエイターにもファンは多く、FKAツイッグスとは「How'sThat」と「WaterMe」で、ビョークとは「mouthmantra」のMVでコラボを果たしている。しかし、順風満帆のように見える彼にもつらく暗い時期があったという。高い美意識と自分へのプレッシャーから、言語障害を伴う鬱におちいったのだ。自意識が空回りして、「思うように言葉を発することができずにいた」と、彼は苦しかった当時を振り返る。いま目の前にいるジェシーは、笑顔で、ときどき手ぶりを交えながらしゃべっている。インタビュー中は英語と日本語を器用に使い分けていたが、とりあえずの語彙で話すことや言い間違いを恐れている様子は少しもない。むしろ、会話のなかで生じる連想やリズムを楽しんでいるかのようだ。なにが彼を解放させたのだろうか?

「美だと思う。もともと鬱になったのも美のせいで……。こうしないと自分を愛せないとか、そういう考え方があったんだけど、自分を見続けていたらその毒が消えていって。頭で考えるだけじゃなくて、アートをつくって自分と向き合うことで、それ(毒抜き)が加速したんだと思う。そういう意味でも、アートをつくるのがどんなに幸せなことなのか、もちろん辛いときもあるけど、いまの僕がどんなに幸せかを伝えたいんだよね。宝物をみつけたら、他の人に教えてあげたくなるでしょ。僕の作品には赤ちゃんが生まれるのがけっこうあるけど、それはアートが自分のなかから生まれていくことがインスピレーションのひとつにあるからだと思う」

Jesse Kanda「tunga」

ジェシーが使う「美」という言葉には、狭義の"美学(エステティック)”に収まりきらない広がりがある。それは多様なニュアンスと流動性をもっている。「美ってさ、ただ綺麗なだけじゃなくて、いろんな感情があって、カラーが何個もあるから面白い。それは言葉とか他のコミュニケーションでは表わせない。そういう複雑な真実に一番近づけるのがアートなんだと思う。真実ってひとつのものだと思われているでしょ。でも、真実ってもっとふわふわしていて、愛情とか苦しみとかいろんな感情がぜんぶ混ざっているものだと思うのね」。ジェシーにとっての美は、かぎりなく真実に近いものなのかもしれない。「例えば、若いときは"なんでこれが好きなのか"とかあんまり考えないでしょ? それが美の力なんだと思う。それは無意識のことなんだから、頭で理解できなくてもいいんだよね。だからそのふわふわな真実みたいなものが、どんな人にも伝わればいいなと思いながら作品はつくってる。将来、自分に子どもができたら見せたいし、見てもらいたい。それはいつも考えてる」

しかし、作品が人々に与える効果を意図して創作しているわけでは決してない。創作はあくまでも自分との対峙なのだとジェシーは念を押す。「そのふわふわなものに近づいていくときにガイドをしてくれるのが直感。だから、何が自分の心を動かすのかが大事。それが一番大切なクリエイションの素材かな」

Jesse Kanda「twins」

もうひとつ、鬱屈していた時期に、彼の視野を広げていくきっかけとなったのがヴィーガニズムとの出会いだった。「環境問題と動物の扱い、その2つの点で僕はヴィーガン。あのときの鬱から抜けられたのもその考えを知ったのが大きかったと思う。それまで、動物のこととか全然考えてなかったんだよね。たぶんヴィーガニズムとかそういう価値観は、前からずっと僕のなかにあったんだよ。自分が動物よりも優れていると思ったこともなかったし……。だけど、わかってなかった」。意識の水面下にひっそりと眠っていた彼の生物観は、1本の映画によって確固とした信条へと変わっていく。

「『アースリングス』を観て泣きまくった。動物の苦難を描いた恐ろしいドキュメンタリーなんだけど、苦悩と暴力のなかに美しさがあって。その苦悩は僕と通じるところがあるんだと思う。変かもしれないけど、本当に美しい。僕がこれまで観たなかでも最も影響を受けた映画。実際の映像を編集しているから、芸術的な作品ってわけじゃないんだけど、すごく美しい。それを観てから、一度も肉は食べてないよ」

ヴィーガニズムは作品にも変化をもたらした。「前より動物を意識してる。それまでは男か女かわからない身体とか、白人か黒人かわからない身体とか、とにかくヒトを作っていたんだけど、最近はヒトと動物を混ぜたような作品をつくるようになった。動物は僕たちと対等だって考え方をするようになって最初につくったのが、アレックスの2ndアルバム『ミュータント』。人間は人間が好きだから、人間の絵や映像を見るのが好きなんだよね——自分にとって見やすいものが。僕も含めて。だから動物の写真だと、共感されにくいかもしれない。それより人間と動物が一緒になってるもののほうが心が動くんじゃないかなって。少なくとも、僕の心は動くからつくってる。もちろん、それだけじゃなくて、いろんな感情や経験も入っているんだけどね」

2017年5月29日、ジェシーは恵比寿LIQUIDROOMでライブとアートインスタレーションが一体となったショーを開催していた。彼はdoonkanda名義で、名門レーベル〈Hyperdub〉からEPもリリースしているが、この日は民族音楽やJ-POPを取り入れた国際色豊かなDJセットを披露した。バックスクリーンに花がゆっくりと血を流す映像が投映され、観客たちは徐々にその祝祭的な雰囲気に溶け込んでいく。寺院に見立てられた会場では線香が焚かれ、床にはペットボトルに活けられた3000本の花々が供物のように並べられている。天井からはスカーフにプリントされた半身半獣が吊るされ、観客の動きを受けて静かに空中を漂っていた。

これらのグラフィック作品には、以前訪れたインドの影響があるとジェシーは話す。ヒンドゥー教の神であるガネーシャも、ヒトの身体に象の頭をもっているが、それは彼のアイデアと呼応するものだった。また、展示されていたグラフィックには、彼がインドで撮影した写真が背景に用いられていた。「それまで、背景は白とか黒ばかりだった。そのほうが人の想像力を刺激するし、無意識に入っていくんじゃないかなって思っていたんだよね。サブジェクトが一番大事で、それをどこかの環境に入れる必要がなかったというか……。でも新しい作品では写真を背景に使って、この生き物(クリーチャー)と"僕たちが実際に触れられる現実世界"をつなぐようにした。橋をかけるイメージかな。それが向き合うってことでしょ?」

Jesse Kanda「worship」

向き合うこと。それはジェシー自身が人生のなかで体験し続けてきたことでもある。夢に現われる無意識を凝視すること、内なる声に耳をかたむけること、そしてなにより自身をとりまく現実と向き合うこと。パーソナルでしかありえない内面と、どこまでいっても客観的な外界、どちらからも目をそらさず、対峙し続けたからこそ、彼の作品には国籍やジェンダーや年齢を超えて観るものを魅了する強度があるのかもしれない。

「それはアートでも映画でも、全部に共通することだよ。リアルを体験しないとリアルはつくれない。リアルはリアルだから(笑)。でも、それが一番素晴らしくてエンターテイニングなことだよね。だからいま、ドキュメンタリーが人気なんだと思う。NetflixやYouTubeにもたくさんドキュメンタリーがあるよね。僕たちの世代はドキュメンタリー世代。ドキュメンタリーを通して自分や世界を学んでる」

インタビューが始まってから、もう4時間以上経つ。そのあいだジェシーは、ときおり自分の発した言葉に訂正を重ねつつも、淀みなくしゃべっている。取材を恐れていた時期があったというのが不思議なほどだ。「これまであまり話さなかったのは、もっと流動的に見られたかったから。さっき言ったような、ふわふわした真実を追求しているときに、言葉で説明するとそれだけで見られちゃうでしょ? でも今は自分にもすごく自信があるし、作品は作品として自立するって信じてる。だからもう話しちゃっていいかなって」。そしてこう続ける。「それにこうやって人と話してるといろいろ勉強にもなる。それにまだインタビューで嫌だったこともないしね。もし嫌な体験をしたとしても、それはそれでなにか学べるから」

「あっ、クッキー食べる?」