©Rokhsareh Ghaem Magham

『ソニータ』映画評

母親から見ず知らずの男性へ9,000ドルで売られそうになった16歳の少女・ソニータが、声を上げる手段として選んだのはラップだった。サンダンス映画祭2016ワールドシネマ部門でグランプリと観客賞を受賞したドキュメンタリー『ソニータ』を映画ライターの常川拓也がレビュー。

by Takuya Tsunekawa
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19 October 2017, 5:11am

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法律で公の場で女性が歌うことを禁じられた国イランでラッパーになることを夢見るアフガニスタン難民の少女ソニータ・アリザデを追った『ソニータ』は、様々な意味で優れて現代的なドキュメンタリーの傑作である。

劇中、ソニータが熱狂する観客を前にステージに立つ歌手リアーナのコンサート写真に自身の顔を重ねる場面が印象的だが、ここで彼女の憧れる対象がリアーナであることは重要だ。というのも、フランス映画『ガールフッド』(2014、セリーヌ・シアマ)ではパリ郊外の低所得世帯用公営住宅団地に住むアフリカ系移民の少女たちが、あるいはイタリア映画『地中海』(2015、ジョナス・カルピニャーノ)ではイタリアに渡ったアフリカからの移民の少女たちが、リアーナの曲をアンセムのようにみんなで歌う場面があったことと通じる同時代性が浮かび上がるからである。

リアーナ自身が、カリブ海に浮かぶ島国バルバドスからの移民であるわけだが、貧しい生活を余儀なくされている今日のディアスポラにとってリアーナは親近感を覚えさせると同時に夢を体現した特別なヒーローなのである。リアーナは、社会の片隅に追いやられた現代の若者たちをエンパワーメントさせる希望の象徴的存在であるのだ(ちなみに、ソニータは現在ではほかにも同じく移民であるミッシー・エリオットやM.I.Aも好きなアーティストに加えているようだ)。

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サンダンス映画祭2016ワールドシネマ部門グランプリと観客賞を受賞した本作は、10歳の頃にタリバンが支配するアフガニスタンから隣国イランへと逃れた児童難民ソニータに密着した記録である。テヘラン郊外の貧困地域に暮らすソニータは、正当な滞在許可書や身分証明書を持たない不法移民であるため学校に通うことができず、読み書きを教える保護施設で清掃員として働いている。しかし、ある日、アフガニスタンから母親が、16歳になったソニータを無理やり見ず知らずの男性と結婚させるべく訪ねて来る。伝統的な因習を従い信じる母親は、ソニータの兄の結納金を得るため、彼女を9000ドルで売るつもりなのだ。

家父長制のもと、古い慣習や封建的な思想が根強く支配する国では、いまでも少女たちは男たちに分配されることをあらかじめ決められた「商品」に過ぎず、そこでは身売りが行なわれているのである。それは人身売買と変わらないものだ(ソニータよりさらに若い頃に結婚させられた経験を持つ母親さえも家父長制に基づいて作られた伝統的で保守的な因習および封建的な掟に加担しているわけだが、ただしかし留意すべきは、娘を守るためにその掟を信じてしまっている彼女もまた悪しきしきたりの犠牲者とも言えることだろう)。

アフガニスタン独立人権委員会によれば、少なくとも15%のアフガニスタン人女性が15歳より前に結婚し、アフガニスタンにおける児童婚の60~80%が強制結婚であるという。この『ソニータ』で取り扱われている本人の意思を無視した強制的な結婚および児童婚という主題は、第88回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、昨年日本でも話題を呼んだデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの長編デビュー作『裸足の季節』(2015)とも通じるものだろう。映画は、強制結婚を免れようと強い意志によって自ら人生を掴もうとするソニータの闘いに焦点を当てているが、本作が重要なのは、社会や道徳、そして宗教など、あらゆる旧来的な秩序に対抗するヒップホップ、そしてフェミニズムの持つアナーキーな力を描いていることなのだ。

© Behrouz Badrouj

「ラッパーは不公平について話し、現実を語る人です。女性たちは声をあげて意見を述べるべきではないとされていますが、私にとって、それはまるでドラッグや何か違法なものを運ぶことのように感じました」とソニータは述べている。

社会に性差別があると認識し、状況の変革を願い、不平等の改善に向けて努力する人をフェミニストと呼ぶならば、社会の中で正義を見出し、理不尽で不当な扱いを受ける女性の性差別や個人の自由を歌うソニータは(まだ当時の若い彼女にはその自覚はおそらくないが)紛れもなくフェミニストであり、アクティヴィストである。

ラップとは、権利を剥奪され、疎外された者たちが発する抵抗の声だ。ソニータは、社会変革のための強力なツールとして、ラップで主張するという方法を選択するが、だからこそ、彼女の声は誰よりもリアルで真に迫っている。なかでも、兄の結納金のために母親から花嫁として身売りさせられそうになる痛ましい実体験をスピットした「売られる花嫁(BRIDES FOR SALE)」は、私たちの胸を深く打つ痛切な訴えとして響いてくる。そのミュージック・ビデオは額にバーコードを描いた傷だらけのソニータ自身の顔のアップからはじまり、女性蔑視と古臭く非人道的なモラルに押し潰されそうになりながらも彼女は、「女性は沈黙を強いられる/沈黙の代わりに私は叫ぶ」と一向に変わることのない因習的な価値観に対して声高かつ切実にプロテストするのである。

©Rokhsareh Ghaem Magham

そして、この映画の最もユニークで興味深いところは、ノンフィクション映画の制作における作り手の役割をいま一度、現実の私たちに問いただしていることだろう。一般的にドキュメンタリーの監督は客観的で中立的な観察者であるべきで、取材対象の人生やその場の現実に介入してはならないという倫理原則が存在するとするならば、『ソニータ』は挑発的なドキュメンタリーだと言える。その一線を作り手側が意図的に超えてしまっているのである。しかしそれは、監督であるロクサレ・ガエム・マガミとソニータ──撮影者(観察者)と被写体──の間で次第にシスターフッドが結ばれていくことによって、協働ないし共闘の戦線を構築しているのだ。

ガエム・マガミは、「人の人生はドキュメンタリー作家の価値を守るよりも重要」だと言い切る。これはヒューマニズムにこそ重きを置き、前時代的なドキュメンタリーの倫理観に終わりを告げさえするかもしれない。そう、連帯が古びたしきたりを打ち破るのである。

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ソニータ
2017 年 10月21日(土)、アップリンク渋谷他にてロードショー