写真家ハンナ・ムーンとジョイス・インが語る、「第二言語としての英語」展
サマセット・ハウスでの合同写真展「English as a Second Language」を控えたハンナとジョイスが、今回の展覧会への想いを語る。
Left: 13. Hanna Moon, Eckhaus Latta Denim Campaign, 2018 © Hanna Moon. Right: Joyce Ng, Seven Sisters Framed, 1 Granary, No.4, 2016 © Joyce Ng
ハンナ・ムーンとジョイス・インの作品は、現在のファッション業界でもっとも考えさせられる、といっても過言ではない。韓国と香港に生まれ、現在ロンドンを拠点に活動するふたりは、人種/文化の異なる両親のもとに生まれた出自を原動力として、アイデンティティについて深く考えさせる作品、そして互いの文化を受け入れ・称えることにまつわる印象深い物語を生み出している。
ジョイスとハンナは、英国で活動するナイジェリア出身デザイナー、モワロラ(Mowalola)のデビューコレクション(ジョイス)、セレナ・フォレストが多様なルックを着こなすファッションストーリー(ハンナ)など、それぞれが数々の一流誌の企画を手がけてきた。現在サマセット・ハウスで開催中の「English as a Second Language」では、そんなふたりがタッグを組み、互いに共通する視点を明らかにしている。サマセット・ハウスという歴史ある会場を彼女たちなりに率直に表現し、汎アジア的な視点を通して、西洋的な美の概念を掘り下げる写真展だ。

——自分自身と生まれ育った場所について教えてください。
ハンナ:私が生まれたのは、韓国のテジョン。とても静かな街で、子ども時代にアートに触れる機会はほとんどありませんでしたが、ファッションにはずっと興味がありました。何時間もネットサーフィンして、何を買おうか悩んだり。19歳で進学を機にソウルに引っ越して、その数年後にロンドンに来ました。
ジョイス:27歳、おとめ座です。17歳まで香港に住んでいて、それからロンドンに引っ越してきました。ロンドンに来る前、少しだけ両親とカナダに住んでました。ちょうど香港が中国に返還され、共産党政権下に入る直前で、街じゅうが混乱していた時期です。数年後に香港に戻ったんですが、香港が半自治権を獲得するまで、あと数十年かかるとわかりました。数年ごとに引っ越しを繰り返して、中国語と英語の学校を行き来しながら育ちました。香港での子ども時代は、巨大なショッピングモールで暮らしてるみたいでしたね。
——いつ、何がきっかけで写真に興味をもったんですか?
ハンナ:8年前、セントラル・セント・マーチンズの交換留学生として、ロンドンに引っ越してきたときです。当時は自分がどんな世界に足を踏み入れたのか、何もわからなくて。授業は何かを教わるというより、自分の作品制作のためのガイドという感じで、とても新鮮でした。韓国の学校ではそんな授業はなかったので。プロジェクトのために写真を撮らなきゃいけなくて、それがすごく楽しかったんです。それでタイロン・ルボンのもとで働き始めて、専門的なことをたくさん学びました。それからずーっと写真を撮り続けています!
ジョイス:最初に興味をもったのはグラフィックデザインです。それからプロダクション、アートディレクション、キャスティングを経て、写真に本格的に取り組むようになりました。写真を始めたのは、セントラル・セント・マーチンズの最後の年です。

——最初に影響を受けたフォトグラファーは覚えていますか?
ハンナ:韓国ではほとんどアートに触れる機会がなかったので、ロンドンやセントラル・セント・マーチンズはまるで別世界でした。特にアート、ファッション、写真関連の資料がたくさんある図書館。具体的な作品は覚えてませんが、ピーター・リンドバーグが撮影した『Vogue Italia』のスーツ姿のリンダ・エヴァンジェリスタは、見た瞬間に惹きこまれました。
ジョイス:私が大学生活で刺激を受けたヴィジュアルアートやカルチャーは、ちょっと違います。よくヴィジュアルの参考にしていたのは、セブンイレブンの広告やタブロイド紙の1面、母が毎週買っていた『明周』という週刊誌。そこからいろんなカルチャーを知りました。人生を変えたフォトグラファーっていうのは特にいません。私のヴィジュアル表現の原点となったのは、商業的な写真や、いわゆる〈インテリっぽくない写真〉、毎日家で目にするような人たちです。
——大学で写真の授業はとりましたか? 専攻は? その分野を学んでよかったと思いますか?
ハンナ:専攻はファッション・コミュニケーションでした。でも2年生で白黒写真の講義があって、そこからアナログプリントに興味をもったんです。写真は未経験でしたが、個人的には写真のコースをとる必要はないと思ってました。写真における技術の重要度はどんどん低くなってるので。それよりも自分自身のヴィジョンをもつことが大切です。
ジョイス:私の専攻もファッション・コミュニケーションです。自分自身について学ぶいい機会になりました。過保護に育てられたひとりっ子の私が、自立するための旅というか。一時期学校に行くのがすごく怖かったんですが、絶対に学ぶ価値はあったと思います。

——写真が溢れ返っているこの業界で、斬新なアイデアを出し続けるコツは?
ジョイス:Instagramを眺める時間を減らしてよく寝ること。家の外ではずっと人間観察をしています。
——フィルム派? それともデジタル派? 撮影機材にはお金をかけるべきですか?
ハンナ:最初に始めたのはフィルムだったので、フィルムのほうが慣れています。自分の手で現像するのも好きで。でも、デジタルが秘める大きな可能性も探っていきたいです。デジタルの世界に不可能はないので。機材にはかなりお金をかけていますが、絶対に必要だとは思いません。前はお金がなくて最低限の機材で撮影していましたが、当時撮った作品は今でもすごく気に入っています。
ジョイス:フィルム派です。私は取引と節約が得意なので、機材にお金をかけなくても大丈夫。

——創造性と仕事のバランスはどのようにとっていますか?
ハンナ:常に創造性を優先するのが大切です。そうすれば仕事のプロジェクトもうまくいくはず。最近では、業界全体が実験的で新しい試みにオープンになってきています。だから、このふたつを完全に切り離さなくてもいいと思う。
ジョイス:私はまだ答えを探している途中です。今のエディトリアルと商業作品のバランスだと、口座残高が赤字になってしまうので。
——ひとの心に訴えかける写真を撮るうえで大切なのは?
ハンナ:被写体との関係性。だから私は友人を撮るのが好きです。私たちの親密さをとらえることができるので。
ジョイス:リアルさと違和感を同時に醸し出すもの。
——みんながネットに写真を投稿する風潮によって、自分の考えかた、リサーチの方法、写真は変わりましたか?
ハンナ:いろいろ便利になったのは確かです。私は今でもいろんなブックフェアや古本屋に行って掘り出し物を探しますし、写真集を集めるのも好きです。でも、インターネットによってリサーチの方法は確実に広がりました。出発点さえ間違えなければ、より詳しくリサーチできます。ただ多くのひとが同じ情報を見るので、その情報が繰り返し使われる。つまりオリジナルであることが、ますます大切になってきているんです。最近では、あまり既存の作品を参考にしないようにしています。
——iPhoneの写真によって写真業界の価値は下がったと思いますか? それとも逆に上がった?
ハンナ:iPhoneはすごい。だから、フィルムカメラではもっといい写真を撮らなくちゃ、って必死です。スタイリストとか、セットにいるスタッフが携帯ですごくいい写真を撮ります。それよりいい写真が撮れるといいけど、ってよくジョークをいうくらい。でもさっきも言ったように、大切なのは道具じゃなくて、撮影のアイデアや被写体です。
ジョイス:私は携帯の写真が大好きです。アナログをもてはやす風潮にはうんざりしてる。ひとつの手段に過ぎないのに。愛用してるのはiPhone 7Sと母のHUAWEI P20。友人のデザイナーのリムから、iPhoneでアングルや構図についてアドバイスをもらったことがあります。最初は戸惑ったんですが、「彼女の写真を超えるまではいかなくても、同じくらい良い写真を撮らないと」と考え直しました。撮影後にスタイリストが携帯で撮った写真を見て、「これを掲載したほうがいいんじゃない?」と思うこともよくあります。

——「English as a Second Language」開催のきっかけを教えてください。
ハンナ:今回のキュレーターのシャナーとは、彼女が前に手がけた「Posturing」展で知り合いました。私もジョイスもこの展覧会に参加してたので、そのとき私たちの作品に興味をもってくれたんじゃないかな。シャナーは、ファッションにおける美しさや多様性の意味にずっと関心があったみたいです。
——この写真展を通して、どのようなストーリーを伝えたいですか?
ハンナ:壮大なストーリーを伝えたい、なんていう野望はありません。私はただ、自分に与えられた新しい環境のなかで、新たな作品に取り組んでるだけ。何か大きな意味を込めた作品よりも、パーソナルな作品のほうが、ずっと観るひとの心に響くはず。私の個性とアイデンティティこそが、この写真展のメッセージです。私はただ、自分自身をもっともよく表す作品をつくりたかった。アジア人、女性、レズビアン、フォトグラファー。それが私です。
——今活躍しているフォトグラファーには、人種や文化の異なる両親のもとに生まれたか、2カ国以上の国で子ども時代を過ごしたひとが多いです。このような経験は、写真を撮るうえでメリットになるんでしょうか?
ジョイス:まさにその通りですね。私は恵まれた環境で育ったと思います。私の両親は20歳を過ぎるまで飛行機に乗ったこともなかったのに。中国には〈本を数千冊読んでも、数千里の旅にはかなわない〉ということわざがあるんです。香港での子ども時代は、火鍋を食べるのと似ていました。火鍋は同時に2種類の味を楽しめるので、それだけ豊かな体験ができるけれど、どっちにウナギの切り身を入れたらいいのかわからなくなったり、一度鍋に入れた具材を反対側のスープに入れて、ひどく叱られたりもする。大学を卒業して実家に戻ってから、はじめて翡翠のバングルがほしいと思ったんです。年を重ねるごとに、自分のルーツを大切にしたい気持ちが強くなっています。

Credits
Photography Hanna Moon and Joyce Ng
This article originally appeared on i-D UK.