『君の名前で僕を呼んで』の私たちの知らない甘美なセックスシーン

ティモシー・シャラメ主演の映画では描かれなかったセックスシーンを、脚本家ジェームズ・アイヴォリーが手がけたオリジナル脚本から抜粋してご紹介。

|
22 May 2019, 6:09am

Courtesy Sony Pictures Classics 

90歳の巨匠ジェームズ・アイヴォリーが手がけた『君の名前で僕を呼んで』のオリジナル脚本は、私たちが映画館で目撃した内容とは大きく異なる。アイヴォリーは、ルカ・グァダニーノ監督と様々な点において意見を異にしたことを、これまで何度も明言してきた。映画では、アイヴォリー脚本にあったきわどいセックスシーンは削られ、オリヴァーとエリオが愛を交わすシーンはきわめて曖昧に描かれた。このことに憤慨するファンも数多く、ストレートの観客が安心して観られるように、ゲイのセックスシーンを中和したのでは、ともささやかれている。

しかし私たちは今、ふたりの交わりを想像することができる。とあるファンが、『君の名前で僕を呼んで』の脚本第一稿をネットに公開したのだ。たとえば第三者によるナレーションなど、アイヴォリーがこれまで発言してきた数々のオリジナル要素が見いだせるので、たしかに本物らしい。

特に、エリオとオリヴァーが初めて交わるシーンの美しさは筆舌に尽くしがたい。これまでの映画ではほぼ描かれてこなかった生々しいアナルセックスの瞬間など、クィアのセックスを大胆に描写している。「それが成されたとき(略)に生じたのは、多少の痛みと不快感だった」。「なかなか決心がつかないエリオと、エリオの決意を促すべく本能的に迫るオリヴァーのあいだには、永遠とも思えるほどの距離が開いていた」。アイヴォリーが描くセックスシーンは、まるで詩のようだ。「エリオは強い愛情と期待をもってオリヴァーの瞳をみつめる。この瞬間がいつまでも続くことを願って。もう元には戻れないと知りながら」。エリオとオリヴァーが激情のただなかにいることが、痛いほどわかる。作品のタイトルになった、ふたりがお互いを自分の名前で呼び合うシーンは、映画よりもずっとリアルで、胸に迫るように感じられる。最後は、大胆にも互いの精液を放射し合って終わる(しかも、その様子はカメラに収めることになっていた)。

1524674660368-screen_shot_2018-04-25_at_103453_am

エリオはまもなく裸になり、シーツに潜り込んで仰向けに横たわる。オリヴァーが両手でエリオの身体をなでると、エリオは恍惚めいた表情をみせる。オリヴァーの両手は、昨夜の街中でのマルシアの両手と同じくらいに、エリオの身体を知りたがっている。オリヴァーがシーツをはがすと、エリオはよろこんでオリヴァーに裸体をさらした。秘密など何もない。オリヴァーがエリオに、その裸体に口づける。エリオのペニス(画面外)を一瞬口に含むと、再びエリオの半開きの唇に、先ほどよりも深く口づける。オリヴァーもエリオと同様、理性を失ってしまったかのようだ。オリヴァーも裸になる。今はどこもエリオに触れていない。ふたりは見つめ合う。

オリヴァーの視線に耐えかねて、エリオが目をそらす。そして再び目線を戻し、オリヴァーをみつめる。オリヴァーの肩がエリオの膝に触れる、プロレスごっこのような体勢。エリオは強い愛情と期待をもってオリヴァーの瞳をみつめる。この瞬間がいつまでも続くことを願って。もう元には戻れないと知りながら。それが成されたとき──オリヴァーがエリオに自身を挿入したとき──に生じたのは、多少の痛みと不快感だった。オリヴァーの進入を阻もうとする本能にたじろぎながらも抗うエリオに、オリヴァーは気づいた。

アイヴォリーが描いたセックスシーンがあまりに濃厚なので、作品中のより強力で映画的なシーンを食ってしまうことを監督は危惧したに違いない。だからこそ、あの桃のシーンが大いに話題になったのだ(小説版とは違い、オリヴァーは「汚れた」桃をかじっていないにもかかわらず)。

アンドレ・アシマンの原作における最大の見せ場ともいえる、革新的なクィアシーンがカットされてしまったのは実に残念だ。一風変わっていながら美しい愛の交合でふたりの男性がいっしょに果てるシーンが、ストレートの観客たちを怒らせることなく上映される日が来ることを願いたい。この作品でジェームズ・アイヴォリーは2018年のアカデミー脚色賞を受賞していることに、少し救われた想いだ。

This article originally appeared on i-D US.