i-Dの表紙に隠された28の秘話

ナオミ・キャンベル、パオロ・ロヴェルシ、リリー・コール、パット・マグラスらが語る、ファッション界・記憶に残る写真の話。

by Sarah Raphael
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29 March 2018, 12:25pm

「その時代の精神を切り撮ることができるのが、i-Dでも最高のフォトグラファーだ」テリー・ジョーンズ

1994年にスティーヴン・クラインが撮影したのは、自分のスタジオにほど近いニューヨークのミートパッキング地区を、腕を組みながら闊歩するケイト・モスとナオミ・キャンベル。この地区のドラァグ・クイーンが写真を撮りながら彼女たちの名前を叫んでいたのを、ナオミは記憶している。i-DのUS号の表紙を飾ったこの写真は、まさにその時代の精神を切り撮ったものだ。

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1984年のアイコニックなマドンナの表紙、1991年に撮影されたカイリー・ミノーグの表紙、トム・フォードの今は亡き飼い犬をフィーチャーしたもの、Couples号の表紙で披露されたデイジー・ローのヌードなどにまつわる裏話が、人気スターやフォトグラファー、スタイリスト、メーキャップアーティスト、さらには撮影に参加した犬によって語られる。

1982年9月、In Future号(第7号)
「ケイトを見つけたのは、ケンジントン・マーケットだったと思う。この号の23ページに、彼女の全身写真が載っているよ。表紙の写真はi-D事務所の裏庭で撮った。ちょっとばかりアドリブが必要だったね」 フォトグラファー、ジェームズ・パルマー

1982年10月、Head to Toe号(第8号)
「スカーレット・オホラーは、ケンジントン・チャーチ・ストリートのアンテナで美容師として働いていたんだ。当時はロンドンのナイトライフシーンでも知られた存在だった。80年代にはいろんなスタイルで彼女の写真を撮ったものだ。短編ホラー映画やミュージックPVも撮影したよ。1980年にミュンヘンで僕に会いに来てくれたとき、彼女とそのファッションが群衆の注目の的になった。その25年後、2007年にロンドンで彼女に会ったんだ。今や彼女は天のヒーラー、スカーレットになった」 フォトグラファー、トーマス・デジャン

1982年12月、Out Already号(第10号)
「ある日の午後、スティーヴ・ジョンストンがこの写真を撮ったの。自分たちのスタジオを持っていたときのことね。1メートル四方の極小スペースで、間に合わせに作った背景をコピー機に立てかけて(そもそもコピー機なんてあった?!)。アートボードに水が飛び散らないよう、しゃがまなければならなかった。ちょっとアイライナーを引いて、明るい色のリップをつけて。水を入れた水鉄砲で、ウィンクした自分の顔に狂ったように水をかける。それをスティーヴが写真に撮ったというわけ。ぼんやりと覚えているんだけど、この水鉄砲写真はテストみたいなものだと思っていたの。だからテリーがこれを実際に使うと言ったとき、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなかった」 カバースター&元i-Dアートエディター、モイラ・ボーグ

1983年4月、All Star号(第14号)
「1983年の後半にi-Dに入って最初に関わったのがこのシャーデーの号だった。この号はi-Dのターニングポイントでもある。ただのポートレイトや風景写真ではなくて、誰かがロンドンのクラブシーンから逃げていく設定だったから。ビッグになろうという気持ちはシャーデーだけではなく、i-Dも同じだった。初めてシャーデーが表紙に起用されたのがこの写真。少なくとも『The Face』より6ヵ月は早かったね。Fiorucciの広告みたいなところが気に入ってる」 元i-Dエディター、ディラン・ジョーンズ

1983年5月、SeXsense号(第15号)
「パリのクラブで、100~200人相手にマドンナがパフォーマンスしたのを見たの。彼女のエネルギーが大好きになるのが自分でわかった。マーク・ルボンにポートレイトを撮ってもらいにスタジオに現れたとき、彼女は無地の黒Tシャツを着ていて。ウィンクさえできれば、彼女を表紙に使うかもってみんな決めていた。テリーが彼女の無地の黒Tのことを気にしていたから、私は自分が着ていた新しいBOYの白いモヘアセーターをさっさと脱いだ。で、彼女がそれを着て写真のモデルをしているあいだ、ブラ1枚で立っていたの。妹もその撮影のモデルをしていたんだけど、マドンナと楽しそうにニューヨークの話をしていたわ。当時よく見られた、無礼講スタイルの撮影だった」 元i-D共同エディター、カリン・フランクリン

1986年8月、Dramatic号(第39号)
「ロバート・エルドマンは、すごく私の支えになってくれた。彼はロンドンで私を使ってくれた最初の3人のフォトグラファーのひとりね。あのときモデル歴はまだ4ヶ月。だからほとんどすべて新しいことばかりだった。ロバートとはたくさん仕事をしたし、i-Dの表紙になるなんてとても誇らしかった! いい時代だった。すごく刺激的でエナジーに満ちあふれて。反転エフェクトも、インド風の頭飾りも大好きだった」ナオミ・キャンベル

1991年3月、Love Life号(第90号)
「i-Dで初めて表紙の仕事は、1991年にカイリー・ミノーグをスタイリングしたとき。モノクロの表紙で、ロバート・エルドマンが撮影したものだ。当時、カイリー・ミノーグは超有名人だった。『ネイバーズ』が終わって〈ラッキー・ラヴ〉をリリースしたばかりで、イメージが変わるころだった。本当のターニングポイントだね。彼女は黒いビニール製のビスチェに黒いロンググローヴを着けて、すごくクールな1枚になった。まだそのときのポラロイドを持っているよ。アートディレクションはジュディ・ブレイムで、あれはカイリーの人生を変えるような1枚だった。僕はジュディのアシスタントで、彼が僕を取り立ててくれたんだ。彼がやれない、もしくはやらない仕事を僕にくれて、彼がやりたいと思った仕事では彼がディレクションをし、僕がスタイリングをした。カイリーは素晴らしい人で、僕たちは今でも友だちなんだ。それから彼女のPVを2度スタイリングしたし、今でも会ってる。彼女は最高さ。よく覚えているのは、カイリーが座ってフィルムを編集しているところ。フォトグラファーが自分の写真の権利を持つようになる前、カイリーは撮影されるたびに、そのイメージをすべてコントロールしたんだ。自分のフィルムや写真で気に入らないものを見せて、基本的にはハサミでそれを切断してしまう。世に出ているカイリーの写真は、すべて彼女が許可したものなんだ。それほどまでコントロールしたり、自分のイメージに入れ込んでいる人は見たことない。彼女は誰よりも先を行っていたんだ」 スタイリスト、デヴィッド

1993年5月、Europe号(第116号)
「ビョークは本当の喜び。あの日、全員でオペラを歌ったのを覚えてる」 i-Dビューティ・ディレクター、パット・マグラス

1994年8月、US号(第131号)
「朝の3時とか4時まで撮影していたのを覚えてるわ。ニューヨークのミートパッキング地区で撮影をしていて、ストリートの人だかりがケイトやナオミの名前を叫んで。ヒステリックだった!」 i-Dビューティ・ディレクター、パット・マグラス

1994年8月、US号(第131号)
「あのとき、ケイトは私と一緒に住んでいたの。私とクリスティ(・ターリントン)の家を行き来していて。当時はすごく親しくて、ニューヨークで本当に楽しい時間を過ごした。この写真はミートパッキング地区で撮ったんだけど、ドラァグ・クイーンがみんなおかしくなっちゃって! これはパット・マグラスが私の人生に入ってきたときでもあるの。イギリスの雑誌であるi-Dのためにこの写真を撮るのは最高だった。イングランドに向けて何かをするときは、いつも特別な気持ちになるから」ナオミ・キャンベル

1998年4月、World Class号(第174号)
「i-Dのクリエイティヴな自由さは、今でも共感できるようなもの。エディター、フォトグラファー、スタイリスト、ヘアメイクといったチーム全員が、私がこれまで仕事をしてきた中でもトップクラスに刺激的な人たちだった。i-Dの表紙になった2枚の写真は両方とも私という女性を賞賛してくれている。楽しくてクールな体験だった。i-Dのためにウィンクするのが大好きだった!」 アレック・ウェック

1998年8月、Very Blue号(第178号)
「私の最初のi-Dの表紙写真は、ユルゲン・テラーが撮ったの。大学時代にずっと着ていた大昔のコーデュロイと、“FEEL THE FORCE”って書いてある古いヴィンテージのTシャツを着て行って。素のままの私を撮ると彼は決めたわ。すっぴんとボサボサの髪で。私のコーディネイトはその日を象徴するものになった。クリエイティヴチーム全員が、自分の服を着ることで私が心地よく、ハッピーに見えると納得したのだから。ユルゲンは本当の美しさを求めていたし、私の個性が発揮されれば、飾りなんて必要なかった」 エリン・オコナー

2001年7月、Man and Beast号(第211号)
「チャイムが鳴ったとき、僕は寝ていたんだ。テリー・リチャードソンだった。彼に会えてすごく嬉しかったから、跳ね起きて、尻尾を振りながら下に降りた。テリーはi-Dの表紙用にトムを撮影しに来たところだった。その撮影中、テリーがこう言ったんだ。『ジョンを写真に入れるのはどうだい?』注意を向けられて僕はワクワクした。最初、トムと僕を一緒に撮影するのがうまくいかなかったので、テリーが言ったんだ。『ジョン、口を少しだけ開けてくれないか。そうするともっとセクシーに見える』。僕がリンダ・エヴァンゲリスタ風の口をするって考えは、すごくバカげてる。大笑いしちゃったよ。ピカッ! 撮影終了」 故ジョン・バックリー=フォード

2001年9月、Bedroom号(第213号)
「これは、アリーヤが飛行機事故で亡くなる前に撮影された最期の写真のうちの1枚だ。彼女はとても若かった。事故の数日後にこの号が出たんだ。彼女が亡くなったときは、もう印刷にかけられていた。ニュースを耳にして、信じられなかったのを覚えている」 フォトグラファー、マット・ジョーンズ

2003年2月、Artistic号(第228号)
「スープ缶があるから、この表紙が大好きなの! キャンベル缶がついているものは何でも集めているのよ……理由はもちろん、ウォーホルが超高価だから! このときのヘアはマイケル・ボーディで、彼はまたモデルブッカーであり、アートディレクターであり、何でもしてた! 私たちはマイケルが大好きだった。美容師をはるかに超えた存在だったから。すごく情熱を持っていて、いつだって110%の力をくれた」 ナオミ・キャンベル

2003年9月、Iconic号(第235号)
「テッシュが撮影したこの表紙は、私のお気に入りの表紙のひとつ。とても刺激的でセクシーで美しかった。ベルリンで撮影したんだけど、ブロンドのウィッグを着けたの。マット・ジョーンズが撮影した2度目の表紙は、妊娠しているときに撮ったもの(2005年9月、Name号[258号])。初めてのヌード写真だった。でも妊娠していたから、気分的にはちょっと違ったけど。今でもその写真は持ってる。唯一、額装している写真なの。大好きな1枚よ。あの写真には言葉にできない美しさがある」 リヤ・ケベデ

2004年9月、New Dawn号(第247号)
「このi-Dの写真は夜に撮影した。パット・マグラス、エドワード・エニンフル、リチャード・バーブリッジと私のスケジュールがなかなか合わなかったから。一緒にできる時間といったら、夜だけだったの!」 ジェシカ・スタム

2004年12・1月、Celebration号(第250号)
「クチュールを着たグウェン・ステファニーをケンティッシュ・タウンで撮影した。近くの団地からやってきたファンの歓声の中で。250回記念の特別号だったんだ」 フォトグラファー、マット・ジョーンズ

2005年11月、Faith号(第260号)
「当時アシスタントをしていたクリスが、この撮影におかしなApeのスーツを着てきたんだ。ナオミと彼がトランポリンを跳んでね。クリスは大柄な男だったにも関わらず、なぜかナオミは彼の倍も高く跳び続けることができた。問題は、ニューヨークでも指折りの人通りが多い場所に建つ、11階建てのビルの屋上で撮影が行われていたということ。このカットを撮った熱狂的瞬間には、彼にもっと強く跳ぶように言ったよ。今思うと、クリスが下の道路に着陸するような“空跳ぶApeクリス”ではなくて幸いだったな!」 フォトグラファー、ベン・ワッツ

2005年12月、Home号(第261号)
「i-Dの表紙に載ることができて、本当に誇らしかった。思い返すと、私を表紙に起用するなんてリスキーだった。特に当時は。ずば抜けてスタイリッシュだったってわけでもないし。ただadidasのパーカを着ていただけで、スタイリングとか方向性とかあまり考えてなかった。でも公平に見て、これは素晴らしい写真だし、すてきな表紙ね」 レディ・ソブリン

2006年5月、Scratch and Sniff号(第266号)
「i-Dが大好き。ロンドンっ子だから、そのエッジなファッションストーリーやアイコニックなイメージにずっと親しんできたの。表紙でウィンクしてきた女性(そして男性)たちの仲間入りができて、誇らしく思う。この表紙はティム・ウォーカーとエドワード・エニンフルが撮影したの。彼らと仕事をするのはいつも楽しい。花で目を隠すというアイデアは、よく晴れたロンドンの日から、自然に生まれたのよ!」 リリー・コール

2007年2月、We Got Issues号(第273号)
「16歳のおてんば娘として、13歳のブラジル人サーファーを撮影したんだ。しかも彼の母親が見守る前で。そんなのi-Dじゃなければありえない。そしてそれこそ、僕たちみんながi-Dを愛している理由なんだ」 コリエ・ショア

2007年8月、Couples号(第279号)
「人生で2度目のニューヨークだった。撮影はロウワー・イーストサイドにあるテリー(・リチャードソン)のスタジオ。うだるほど暑かったのに、テリーはこのかわいそうな男の子を2時間ほど休みなくジャンプさせたり、尻を振ってダンスさせたりしたんだ。DJとそのハイプマンみたいにね。あのとき俺はデイジーと一緒にカメラの前に立って、自然体でリラックスしていた。でも友だちのひとりが初めて印刷されたものを見たとき、俺たちのことを『変態野郎!』って呼んだのを覚えてる(デイジーのお母さんの前で!)。これは俺の素晴らしい青春時代のドキュメントだから、分かち合うことができてとても誇らしく思うよ」 ウィル・ブロンデル

2008年8月、Artisan号(第290号)
「これは私にとってとても特別な1枚。最初にYves Saint Laurentの仕事をしたのは17歳のときで、そのあと2008年秋冬コレクションの広告モデルにならないかと言われたの。ほぼ20年経ってから。そしてステファノと撮ったこの表紙……すごく圧倒的で素晴らしい作品。イヴが亡くなったのと同じ年に撮られたものだけど、私が広告モデルになって彼がとても喜んでいたと聞いたわ。この表紙がものすごくモダンでクラシックでエレガントになったのはステファノのおかげ。『私は何を着ればいい?』って彼に尋ねたら、『何も!』と彼は言った。彼の頭の中にはこのイメージがあったのね。イネスとヴィノードと一緒に仕事をするのも大好き。指示を出されるのは好きだし、彼らは自分が欲しいものがちゃんとわかっているから、すごく早いのよ。この撮影をすることができて誇りに思う。この表紙も大好き」 ナオミ・キャンベル

2009年3月、Best of British号(第297号)
「Best of British号の表紙を撮ったのは、クリスマス直前のニューヨーク。しかも雪が狂ったように降ってるスタジオの外だった。エドワードとソルヴはものすごいペアで、一緒にたくさんの美しい、しかも同時にみんなを大笑いさせるような写真をつくり出してきたのだから。あの日、彼らはわたしを本物の女性のような気分にさせてくれた……心の底からそんなふうに感じたのはあれが初めてよ。素晴らしい感情! ありがとうi-D!」 デイジー・ロー

2009年プレフォール、F.U.N号(第301号)
「スポンジボブ・スクエアパンツは、海の中のビキニタウンに住んでいるスポンジです。つまり、i-Dで6ページのファッションストーリーをつくる上でいちばんおもしろい部分は、愛すべき我らのスポンジがどんなふうに新シーズンのTom Fordを着るように持っていくかということ。結果的に、ニコロデオンのUSチームによって特別につくられた、ハイテクでフォトリアルなアートワークが、本当のファッションストーリーとなるのです。カニカーニでカーニバーガーをひっくり返したその功績と才能が認められ、スポンジボブは誰もが羨む“今年の揚げ物コック”賞を勝ち取りました。スポンジボブは人生2度目の脚光を浴び、セレブになったのです。レッドカーペットデビューに向けてスタイリングしてもらうのに、その日1日を費やして。Tom FordとMarc Jacobsを着てみたあとで、スポンジボブはセーラースタイルを選び、ヴィンテージのJean Paul Gaultierを晴れ舞台の衣装に決めました。大西洋の両側から寄せられた多くの愛と優しさのおかげで、この4つのファッション写真と、スポンジボブをフィーチャーした2つの表紙をつくることができました。この作品を我が社の壁に掛けることができるのを誇りに思います」 ニコロデオン

2010年春、Home Is Where The Heart Is号(第306号)
「i-Dの表紙を撮るときは、フレッシュでナチュラルにするのが好きなのです。ジョージア・ジャガーで撮った2009年冬のFlesh and Blood号のときのように。最初に撮影したi-Dの表紙は、Anarchy号(1990年7月、第82号)のカーステン・オーウェン。彼女はウィンクをしておらず、ほとんど泣いていて。あれは特別な表紙でしたね。ナタリア・ヴォディアノヴァの表紙(2010年春)には、とても満足しています。ナタリアがすごく若い、若い女の子のように見えると感じますから。彼女は若い女の子ですが、3人の子の母でもあります。なのに彼女自身が子どものように見え、それが気に入りました」 フォトグラファー、パオロ・ロヴェルシ

2010年夏、Head, Shoulders, Knees and Toes号(第307号)
「現役のモデルに、ポーズの取り方を習ったかどうか聞いてみて。帰ってくる答えは『ウィンクの仕方』だけだから。i-Dの撮影というのはほとんどのモデルの夢だし、表紙モデルの栄誉にあずかれるのは最高なこと。風が吹きすさぶLAの砂漠で、照りつける太陽のもと、ジャマイカから何て遠くまできてしまったんだろうと考え、ダンの冗談に笑い、マリーと忍び笑いした日々の思い出は、これからも私の宝物。30年もトップを走り続けたi-Dに祝福を」 ジェニール・ウィリアムズ

Credits


Text Sarah Raphael
Translation Aya Takatsu

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