THE CARTERS、ルーブル美術館に降臨:カーター夫妻は現代のメディチ家か?

それを探るべく、ルーブル美術館が発表した〈ビヨンセルート〉を歩いてみた。

by Brian O'Flynn; translated by Ai Nakayama
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26 October 2018, 8:50am

「このルートでは、ジェイ・Zとビヨンセによる『Apeshit』のMVに登場したアイコニックな作品を鑑賞することができます」

これはルーブル美術館が提案する新しい〈ビヨンセルート〉の説明だ。まったく冴えてないし、文脈もない。ほらどうぞ、と仕方なく発表している感が否めない。このルートについて、もっと詳細な説明をしてくれてもいいではないか。

カイラ・ファイロ(Kaila Philo)は今年6月のNoiseyの記事で、「Apeshit」のMVについて、「アートであり、アクティビズムではない」と断じた。「黒人に誇りを植えつけるような作品をつくるビヨンセの能力は超一流である。しかし彼女は…[中略]…それを訴えるのと同じ口で資本主義システムを賛美し、その制約を脱していない」。ビヨンセの政治的影響力はもちろん強力だし重要だが、そこには一貫性がない、そう彼女は指摘した。彼女の芸術的影響力についても同じことがいえるのだろうか?

ビヨンセの高尚な芸術的アイコンへのイメージアップは、間違いなく2018年のビジュアルカルチャーにおける最重要事項だ。しかし、ルーブル美術館の適当な新ルート説明から鑑みるに、ルーブル側はそうは思っていないらしい。ルーブルが〈アイコニック〉と称しているのも作品のほうであって、MVではない。

私はまず、MVのなかでもおそらくもっとも印象的で、ビヨンセルートの第1ステップでもある〈サモトラケのニケ〉の前の階段をうろうろしてみた。声をひそめて話す鑑賞者がいる。どこからかスマホカメラのシャッター音が聴こえる。ぼーっとして、無関心な人もいる。

脇のほうへ寄ってみれば、全員20代と思われる少人数グループが、ニケを背景に良い感じのセルフィーと撮ろうと苦心している。彼らがどうしてInstagramにアップする作品をこの彫像に選んだか、その理由は明確すぎるほど明確だった。私がビヨンセの名を出すと、グループのうちのひとりがパッと表情を明るくした。「ビヨンセがここにいたんだよね!」と彼らは声を合わせて叫ぶ。

ロンドンから来た21歳のジジ。私は、生き生きと話す彼女が、紫のスーツとネックレスを身につけているのに気づいた。彼女は〈モナリザ〉の前でビヨンセになりきるのだという。「彼女は、アイコン」とジジは一語一語に力を込める。「彼女のビジョンにはみんなが共感する」

ルーブル側にとってビヨンセルートは、ただ高尚な芸術を紹介するためのひとつの手段、若者にアピールするためのズルい策、大して評価していないひとつの収入源にすぎないようだ。今回、ルーブルの広報担当者に、このビヨンセルートのルーブルにとっての意味、ルーブルの歴史における重要性について尋ねたところ、こんな回答を得た。「ビヨンセとジェイ・Zが選んだ芸術作品のなかには、実に有名で簡単見つけられる作品もあれば、あまり知られていない作品もあります。この鑑賞ルートは、使用された作品を館内で見つけるのに役立ちます」。しかし、大勢の若者が観に来るのは、ビヨンセなのだ。

「Apeshit」のMVで中心的な位置を占める階段は、高い制作技術やビヨンセレベルの照明セットがなければ味気ないし、狭苦しく見える。ニケの前でビヨンセが振り乱していたシルクの白い布もない。あれこそが空間にダイナミズムと空気の流れを与えていたのに。ルーブルあってこそのビヨンセではなく、ビヨンセがいてこそのルーブルだったのだ。

2018年の時代精神を体現するアイコンで、この時代の代表として2228年の美術館に展示されるべき人物といえば、ビヨンセだろう。「未来の世界で、ビヨンセが言及されないはずがない」とジジも賛同する。「エスニック・マイノリティの世界を広げた彼女の功績は、必ず後世の人びとに称えられるはず。『レモネード』で、自らの痛みを深い思索の対象としたビヨンセは、真のアーティストになった。〈夫が浮気してマジ怒ってる〉ってことだけじゃなくて、ひとりの人間が経験する様々なステージ、ひとりの黒人女性が体験する感覚を提示した。彼女は自分のアイデンティティのあらゆるパーツを統合し、それをポエトリーとして深化させた。そうすることで、様々なテーマを提起してる」

さかのぼること1999年、国際NGO〈Commonwealth Association of Museums〉の当時の総裁エマニュエル・N・アリンツ(Emmanuel N. Arinze)は、公開講演において、社会における美術館の役割について、「選民意識が高く、退屈で、超然としていた初期の美術館」と違い、現代の美術館は「使命を再定義し、変化を続ける世界からの期待を反映しなくてはならない」、「社会で起きている出来事を映しだす鏡、進歩を測る計器となる必要がある」と語った。ルーブルのビヨンセルートは、この精神を実践しようとしているだけでなく、これからの文化を予感させる。現在、カーター夫妻はマーケティングのツールに過ぎないかもしれないが、彼らの作品はいつかの未来、美術館展示の中心となるだろう。

ルネサンス期のアーティストは、自らの作品のインスピレーション源として、古代ギリシャや古代ローマを参照した。古代の歴史的な遺産を転用して、古い物語に新しい意味を付与したり、新技術を持ち込んだりすることで、思想に変化をもたらした。この文化革命を率いたのは、メディチ家のような裕福なパトロンたちだ。彼らは当時の才能あるアーティストをキュレートし、彼らを邸宅に囲い込み、潤沢な資金をアーティストにつぎ込んで、この革命を後押しした。

それらの歴史上の人物と、現代のカーター夫妻との類似性は明らかだ。カーター夫妻は、世界有数の才能ある写真家、プロデューサー、ディレクター、作詞家のネットワークの中心に立ち、パトロンとして、自らが才能を認めた黒人アーティストのキャリアを後押ししている。たとえばUS版『Vogue』でビヨンセの表紙を撮影した写真家タイラー・ミッチェルについて、ビヨンセはこう語る。「私が若いアーティストのために世界を広げてあげることが大切だと思っています。彼らの目の前には、文化的にも社会的にも、数多くの障壁がある。私は自分ができることをして障壁を取り払い、遊び場を提供してあげたいんです」。〈ルネサンス的な女性〉といえば、博識で、様々なスキルを習得した女性のことを指す。パトロンでもありアーティストでもあるビヨンセは、ルネサンス的な女性の極みだ。『レモネード』と「Apeshit」で、ビヨンセは歴史を参照し、古い芸術作品の文脈を変え、そうすることで思想に変化を生み出している。

エジンバラ大学で美術史を教える上級講師のジル・バーク博士は、最近こんな見解を発表した。「カーター夫妻の活動は[中略]既存の美術史において排斥されてきた者に光を当て、客観的であると主張してきた視線を破壊している…」。2018年のビヨンセは、ルネサンスのアーティストがルネサンス期にしたのと同じことをしている。「Apeshit」のMVや、彼女のマタニティフォトは、未来の美術館所蔵品に名を連ねること間違いない。

実際、ビヨンセの足跡はすでに美術館に収蔵され始めている。〈サモトラケのニケ〉の前でセルフィーを一生懸命撮ろうとしていたライアン・リッチモンズは、フィラデルフィアからやってきた25歳の米国人。「ワシントンD.C.のナショナル・ポートレート・ギャラリーには、ビヨンセの肖像画が収蔵されてます。もうビヨンセは美術館の収集対象になってるんですよ」と誇らしげに彼は笑う。

彼のボーイフレンドでワシントン出身24歳のポール・ライヨンズも、ビヨンセの〈収蔵化〉はこれからも続いていくだろうと見解を述べた。「今後はもっと、デジタル寄り、写真やビジュアル作品、SNS寄りになっていくと思います。未来の人びとが振り返るのは、そういうモノになるでしょう」とポール。「ルーブルやイタリアのバチカン美術館のなかを歩いていると、そこにいるのは白人ばかり。ビヨンセがそんな空間でMVを撮影し、収蔵作品を提示しつつ力強い黒人性をフィーチャーするMVをつくりあげたこと、そうやってビヨンセが巻き起こした新たな波を目撃できたのは、意義深いと思ってます。僕らみたいな若者がルーブルに来て、〈ビヨンセがここにいた〉と考える…。それって、些細なことに見えるけど、実際は大きな意味をもつと思うんです」

彼の見解は、私が階段の下のほうで目撃した、3人の若い女性によって実証される。入場してきた彼女たちは、両手で口元を抑え、感動で目を丸くしたかと思うと、程なくしてスマホを取り出し、写真に収めはじめた。フランス領ギアナからやってきた21歳のシャーレーンは、3人を代表してこう述べた。「ビヨンセがこの場所を、私たち黒人のものにしてくれました」とシャーレーンは興奮気味に語る。ビヨンセは美術館に永久に展示されるべきだと思うか、と訊くと、彼女は「もちろん!」と明言した。「彼女は『Apeshit』のMVで、大きな変化をもたらしてくれました。もちろん過去は忘れることはできません。だけど、ビヨンセはその過去に他のものを付け足してくれた。それは、私たちの記憶に残り続けるでしょう」

This article originally appeared on i-D UK.

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