『雨にゆれる女』:半野喜弘監督インタビュー

ジャ・ジャンクーやホウ・シャオシェンといった映画界の名匠たちを魅了してきた音楽家・半野喜弘。「音楽と映画は表裏一体」と語る彼が満を持して監督デビューを果たした。半野が映画音楽を始めたキッカケ、監督第一作『雨にゆれる女』に込めた想いとは?

by Koremasa Uno
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21 November 2016, 12:35pm

© 「雨にゆれる女」members

今から14年前、2002年のパリ。90年代末にヨーロッパに渡り、映画音楽の世界で世界中の巨匠たちと仕事をしていた音楽家・半野喜弘と、当時まだデビューして間もなかった役者・青木崇高が偶然出会ったことがきっかけに始まった一本の映画。それが、半野喜弘にとって初監督作、青木崇高にとって初の単独主演作となる『雨にゆれる女』だ。クラブミュージックの作り手から映画音楽家、そして映画監督という異色のキャリアを歩み続ける半野監督に、これまでの歩み、そして監督第一作『雨にゆれる女』に込めた強い意思と想いを訊いた。

脚本家や撮影監督から映画監督になられた方は結構いますが、映画音楽家から映画監督になられた方って、かなり珍しいケースですよね? しかも、今回の監督第一作『雨にゆれる女』は、別分野の人が試しに映画を撮ってみたというようなものではなく、今後もがっつりと映画監督としてやっていく方の第一作だという意思がヒシヒシと伝わってくる作品でした。
映画音楽は1998年からやっているので、もう20年近くやっていて。別に、今回監督になったから映画音楽をやめるとか、そういうつもりはないんですよ。音楽の仕事というのは、あくまで自分のメインの創作活動であり、プロとしてそれでメシを食っているという意味ではメインの仕事でもある。そこは、これからも作品のスタッフのひとりとして、ちゃんとバランスを保ちつつやっていきたいと思っています。で、映画監督に関していうと、自分がやりたいことがブレずにやれて、そこに仲間が集まってくれる企画ができたら、是非また映画を撮りたいと思っています。少なくとも今のところは、映画監督として雇われてどうこうっていうのはまったく考えてなくて。もしそれが僕にとって「仕事」だとしたらそれはまた違う話になると思うんですけど、幸いなことに僕には別の「仕事」がありますから。映画で僕がやるべきことは、「仕事」ではないんじゃないかって気がするんですよね。

そのスタンスはとてもいいですよね。「仕事」をしているのがまったく違うジャンルっていうわけではなく、映画の現場で学んだり、人脈を作ったりもできるわけで。
そうですね。だから、映画監督としては、自分のやりたいことがぶれないで最後までできるかどうかが僕にとって一番大事なことで。きっと、数を多く撮っていくということでなくて、またいいタイミングが来ればという感じですね。そのためには仲間が大切で。そこに賛同してくれる仲間が集まったときに、またやるっていうふうに思っています。

半野監督の世代で、関西出身で、90年代からジャズ、ヒップホップ系の音楽活動をしていたということは、Kyoto Jazz MassiveとかMONDO GROSSOとかの周辺で活動していたんですか?
(Kyoto Jazz Massiveの)沖野修也くんとは、京都のメトロってクラブでよく一緒にやってましたね(笑)。最初に沖野くんに会ったときは、彼はまだDJをやってなくて、フライヤーのデザインとかをしてて。(MONDO GROSSOの)大沢伸一くんはバンドでベースを弾いてて、当時僕がやってたバンドと大沢くんのバンドで外タレの前座をしたり。その周辺には竹村延和くんもいて。まだ日本ではクラブミュージックそのものがハシリの時代だったので、みんなプロとしてやっていけるかどうか不安を覚えながらも「よし、これからはこれでやっていくぜ!」っていうような空気の中にいましたね。

あぁ、じゃあ、本当に関西のクラブジャズ・シーンのど真ん中にいたんですね。
恥ずかしいからプロフィールには入れてないんですけど、バンドでラップや歌を担当していて、メジャーからも作品を出していたんですよ。本当は作曲に専念して歌いたくなかったんですけど、周りに歌えるやつがいなくて(笑)。

でも、1998年には侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』の映画音楽を手がけているわけですよね。そこには、キャリア的なかなり飛躍があるなって(笑)。
監督が侯孝賢、主演がトニー・レオンって、かなりの大作じゃないですか。なんですよ。当時大阪で住んでいた家に、いきなり松竹から電話がかかってきて、「侯孝賢という映画監督があなたに音楽を頼みたいって言ってるんだけど、来週台北にこれますか?」って言われて(笑)。もう、なにがなんだかわからなかったけど、侯孝賢の映画は好きだったから「ハイ、いきます」って(笑)。製作に日本の松竹が絡んでて、日本側から「日本人の音楽家を使うのはどうか?」って提案したら、それが通ったらしくて。松竹の女の子が監督に送る資料として何枚か送ったCDの中に、たまたま自分のCDがまぎれこんでたらしいんですよ。そしたら、侯孝賢が「こいつがいい」って(笑)。

へぇー、すごい話ですね。
さすがに現場に行ったときはビビりましたよ。いきなり台北で、その辺にトニー・レオンがいて。19世紀のシャンハイの話だから、役者さんがみんな辮髪にしていた。当時、自分はドラムンベースみたいな音楽をやっていたから、「これ、大丈夫なのかな?」って。監督からは「音楽性を指定する気はないけど、チェロみたいな大きなうねりのある音楽がいいと思う」って言われるんだけど、こっちは「チェロって弦何本だったっけ?」みたいなレベルで。そしたら、一週間もしないうちにカンヌのコンペが決まって、まだ1曲もできてないのに、自分もカンヌに行くことになって、しかもレッド・カーペッに作品のテーマ曲を用意しなくちゃいけなくて。あのときは、凄まじいプレッシャーでしたね。これまでの人生の中で一番大変だった(笑)。

でも、そのスタートは幸運だったとはいえ、そこから20年近くヨーロッパを拠点に映画音楽をやられているわけだから、すごいことですよ。
拠点をパリに移す前、日本でメジャー契約をしてるときから、実は一度も事務所に入ったことがないんですよ。だから、映画音楽に関しては、基本、自分の電話にかかってきた仕事のオファーを受けるっていう、すごく受身なスタンスでやってきて。それと同時に、実はクラブミュージック、今はちょっとテクノ寄りなんですけど、それも続けていて。そっちでもアメリカ、カナダ、中国、台湾と、最近もライブでツアーをしたりしていて。

そうなんですか! それで、今回初めて自分で映画を撮ってみようと。それは、ずっと考えていたことだったんですか?
実は今回の『雨にゆれる女』の前にも、5本くらい脚本を書いているんですよ。きっかけは、10数年来の友人である西島秀俊くんと酒を飲んでて、酒の勢いもあって一緒に映画作ろうって話になって。最初は2人で脚本書いて、2人で監督しようみたいな話だったんですけど、結局自分が脚本を書き上げて。映画って、脚本の段階からどのくらいお金がかかるか考えないといけないじゃないですか。今から考えたら、その頃に書いていた脚本は何億円もかかるような脚本で、企画が通るわけがなかったんですけど、もうその頃には引くに引けなくなって。その後、また別に書いた脚本を読んでくれた今作のプロデューサーから「初監督作品を実現させるためには、もうちょっと小さな規模で、まず自分の軸みたいなものがくっきりしたやつをやるのはどう? それだったら可能性あるかも」って言われて。それで書いたのがこの『雨にゆれる女』の脚本で。そこで絶対に譲れなかったのが、主演は青木崇高でいくってことで。

© 「雨にゆれる女」members

青木崇高さんとは、彼がまだ全然無名の頃にパリで知り合っているんですよね?
はい、その頃からの約束で。

監督をするだけでなく、脚本も自分で書くというのは、最初から決めていたことなんですか?
自分にはこれまで演出経験がなかったわけじゃないですか。そこで、俳優、あるいはスタッフに、なぜこの設定はこうなんだ、なぜこのキャラクターはこうなんだって説明するためには、自分が書いた脚本じゃないと、明確な答えが揺らぐと思ったんですよ。だから、演出をするその手前で、ちゃんと自分で苦しんでおいた方がいいと思ったんです。ちゃんとすべてに責任が負えるというか。

なるほど。
撮影に関しても、きっと通常だったら「ここはカメラマンの領域なので、そこまで口を出すと困ります」って言われるぐらい細かく指示をしてるんですけど。それも、レンズやフィルターに関するテクニカルなトレーニングを自分でずっとしてきて。そうじゃないと、カメラマンと対等に話し合えない。すべての責任をとれないんだったら、自分にとって映画を撮る意味はないと思っています。それは、きっと今後も変わらないでしょうね。

「別の人格として生き続ける人間の姿」という本作のモチーフは、半野監督のパーソナルな部分から出てきたテーマなんですか?
いや、これは作劇上の面白さを狙ってのものです。製作費的にも、出演者を絞ろうっていう目的が最初からあって。じゃあ、人を絞って何をしたら面白いことができるかなって考えたときに、要は、1人が人格を偽っていれば、2人でも4人のキャラクターの話ができると思ったんですよ。あと、この作品では、これまで誰も見たことがない青木崇高を見せたかった。多くの人が持っている彼へのイメージって、身体が大きいこともあって豪快で、それでいてちょっとコミカルな演技もできて、みたいな感じだと思うんですよ。実際、初めて会ったときも、彼の方からパリのカフェでいきなり自分に話しかけてきたみたいに、普段からすごくオープンで、前に出ていくタイプの人間なんですよ。でも、この作品ではその逆で、クローズで、他人を遮断し続ける人間を彼に演じさせたかったんです。

今後も映画音楽の仕事はやりつつ、今回のように自分のやりたいことができる条件が揃ったらまた監督も、というふうに考えているんですか?
そうですね。僕にとって本質的には音楽を作るのも映画を撮るのも同じなんですよ。自分の中にあるものを形にする。そこで、今の自分がどっちの方向に向いてるかっていうだけだと思うんですね。とにかく映画が好きなので、依頼されて映画の音楽を作るのも大きな喜びだし、学ぶことも多いし、自分が生きていく糧でもあるので。そこはちゃんと続けていきたい。その上で、自分がぶれないでやれる環境が揃ったら、また監督をしたいと強く思ってます。もちろん、映画音楽の仕事とは違って待っていても何も始まらないですから、今も必死で動いてますし、戦ってますよ(笑)。

テアトル新宿にてレイトロードショー開催中。

www.ttcg.jp/theatre_shinjuku

Credits


Text Koremasa Uno

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