華麗なるパット・クリーブランドの50年

伝説のクラブStudio 54で遊び、ジャッキー・ロビンソンとゴルフを楽しみ、アイコニックなアメリカンデザイナーたちの女神となったパット・クリーブランド。元祖スーパーモデルが、半生を綴った自伝『Walking with the Muses』を語る。

by Marquita Harris
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15 June 2016, 5:10am

Pat in a pool in Milan for Linea Italia, by Gian Paolo Barbieri

アイコニックなスーパーモデル、パット・クリーブランド(Pat Cleveland)は、5月にしては肌寒い天気に不平を漏らしつつも、青い花を眺めては笑みを見せる。「このフリージア、綺麗ね」。彼女は花びらを触り、目を閉じると、鼻から香りを吸い込む。「いい香り」。そして、「うちにもフリージアを買いましょう」と部屋の向こうにいる夫ポールへ顔を向ける。

現在65歳のパットは、日記や手帳、写真、スケッチで50年の半生を綴ってきた。それらをまとめた自伝『Walking with the Muses』を、彼女は手に持っている。「この香り、嗅いでも嗅ぎ足らないのよ。舐めたいくらい!」と冗談を言い、笑ってから、愛おしそうにハードカバーの装丁を撫でる。「本当に信じられないわ。夢のよう。私、16の時からすべてを書きためてきたのよ」

この本には、驚きのストーリーの数多く収められている。彼女をおいて、10代のうちに、ここまで多くの伝説的人物と接してきた者はないだろう? それも、ただ出会ってきただけではない。パットはそんなレジェンドたちを人生の脇役に従えてここまで生きてきたのだ。

With Stephen Burrows, 1970, in one of the designer's "lettuce dresses"

それは、彼女の親のおかげなのかもしれない。パットの母でアーティストだったレディバード・クリーブランド(Ladybird Cleveland)は、ヘレン・ケラーとブルーベリーを摘んだことがあり、またアーサ・キット(Eartha Kitt)をはじめとするハーレム黄金期を作り上げた人物たちと深い親交関係にあった人物だったのだ。そんな母に育てられたパットが、いくら常人の人生を歩もうとしても、それは無理というものだ。幼少期には、すでに特筆すべき人物たちとの出会いが山ほどある。9歳でメジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンとゴルフをし、その後ビル・コズビー(Bill Cosby)の影の一面を目の当たりにした。そして、モデルからホームレスのカメレオンマンへと転身したマシュー・ケネス・エクスタイン(Matthew Kenneth Eckstine)と恋に落ちるなど、彼女の思春期は実にカラフルだ。

モハメド・アリさえも、当時16歳だったパットに魅了されたようだ。肩を触れ合わせてバスに同乗するふたりの写真を見れば、それは明らかだろう。アリは、しかし『Walking with the Muses』に登場する伝説のひとりでしかない。めくるめく物語が、ロイ・ホルストン・フローイックやカール・ラガーフェルドなど華やかな登場人物たちとともに描かれ、そこに織り込まれたきらびやかな写真には、誰もが「こんなひとまで!?」と目を丸くするだろう。もしも1970年にInstagramが存在していたら、彼女はきっとジジ・ハディッドと激戦を繰り広げたにちがいない。

Muhammad Ali and teenage Pat

しかし、若いエネルギーに満ち溢れた天真爛漫な印象に反して、パットは私生活のプライバシーをしっかりと守っている。ソーシャルメディアで存在感をアピールすることもしない。名前を知られるようになってきた頃、彼女は"ファンシーなパーティには必ずいる女の子"となり、会場ではシャンパンの代わりにいつもジンジャーエールを飲んでいたという。コカインが大流行し、彼女がいつもStudio 54で共に遊んでいた仲間たちが次から次へとその誘惑に負けていった時代だ。「何をすべきで何をすべきでないかは、若いうちに学んでおかなきゃならない。誘惑は多かった。でも誘惑を感じたとき、私はいつもママのことを考えた。『ちょっと待って。何をやってるの?』と厳しく私に迫るママを」。彼女には、モデルのアナ・クリーブランドと、ノエルというふたりの子供がいる。シングルマザーだった彼女の母が身を持って見せてくれた育児方法を手本に、自身の子育てに励んだのだという。とても厳しい母親だったそうだが、青春期に楽しみがなかったわけではない(正反対だったという)。ただ、楽しさを引きづらなかったのだ。

2005年『Feminist Issue』のパットと娘のアナ

誘惑に抗っただけの青春時代でもなかった。心の赴くままに従ったことも少なからずあったという。「愛は、様々に変化したわ。本を作る上で、女性であること、そして女性として人生を生きるということは重要なテーマのひとつだと思った」と彼女は話す。「男の人たちが好き。いい遊び道具じゃない。いいものを持っていて、私たちはそれで楽しめる」と彼女は笑いながら言う。「それはどうも」とパットの夫ポールが部屋の向こうで言うのが見える。

With Diana Ross, 1977, on the set of The Wiz

彼女はこれまで多くのことを成し遂げてきた。そのひとつが、退屈なランウェイに楽しさを持ち込んだということだ。50年のキャリアを通して、一度として無表情でランウェイを歩いたことなどない。彼女がランウェイを歩く姿は、舞いのようだ。かつて、"スーパーモデル"という名は、絶対的な存在として業界に君臨し、デザイナーたちの女神としてコレクションのテーマとなるほどの女性たちにのみ冠された。パット――その名にはもはや苗字など必要ない――は、間違いなくそのひとりだった。彼女はアフリカンアメリカンとして初めて、モデル界で大きな成功を収め、その後に続いたジョーダン・ダンやナオミ・キャンベルなど有色人種のモデルたちに道を切り拓いてみせた。そして彼女は、それを彼女らしく、シアトリカルにやってのけた。

「もうこの業界も50年になるのね。美しいものに長く携わっていくのはとても難しいことよ。人も変われば時代も変わり、需要が変わる。幸運なことに、私はそういった流れから振り落とされずにここまで来ることができた。個性があれば、それに引き寄せられて出会えるひとがいるものよ」と彼女は言う。「自分を愛するということを、私たちは皆、学んでいるわ。愛されていなければ、ひとはしぼんでしまう。ひとにも、花のように水が必要なのよ」と彼女は、テーブルに置かれたフリージアを見ながら言う。「ひとに愛され、水を与えてもらわなければ生きていけないの」

Credits


Text Marquita Harris
Images courtesy of Simon & Schuster
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc. 

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