メアリー・ケリー:コンセプチュアルアートに革命を起こしたフェミニスト

初期作品のエキシビジョンと同時に、テートブリテンで『ポスト・パータム・ドキュメント』が展示されることとなったメアリー・ケリー。アートの世界を押し広げた彼女に話を聞き、70年代から現在に至るまで褪せない彼女の影響に迫った。

by Felix Petty
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27 May 2016, 7:21am

メアリー・ケリー(Mary Kelly)の作品がいかに革命的か、そして70年代にそれがどれだけショッキングで新しいものであったかを、言葉で説明するのは難しい。ケリーは、それまで扱われることがなかったテーマをもって時代を動かしたアーティストなのだ。

1976年、彼女はICA現代美術館で開催した『ポスト・パータム・ドキュメント(Post Partum Document)』に、息子の汚れたおむつを展示した。タブロイド紙は、この作品に受けたショックを書き立てた(「汚らしいおむつだ」)。しかし、ケリーがこの展覧会で成し遂げた功績は、コンセプチュアルアートの世界をフェミニズムの領域にまで押し広げるものだった。それまでは冷たい実験主義でしかなかったコンセプチュアルアートに血の通ったヒューマニズムを注ぎ込んだのである。

MaryKelly, Fort/Da,1974

また、彼女の芸術は単なるコンセプチュアリズムを超え、アートを女性が感じる強い衝動の領域にまで押し広げた。その影響は、個人的な体験を社会政治的な観点から見つめる今日の女性アーティストたちの作品にも見てとることができる。

メアリー・ケリーは、1941年、第二次世界大戦に参戦した時代のアメリカはアイオワ州に生まれた。1960年代に入り、アメリカがアフリカ系アメリカ人公民権運動の時代に突入すると、ケリーはベイルートへ渡り、現地で美術を教えた後、1968年にヨーロッパへと渡った。当時ヨーロッパは、アンテルナシオナル・シチュアシオニスト(Internationale Situationniste:状況派前衛集団)の思想をもとに、日常の革命と変化を求めたフランスの学生や反体制無政府主義者たちによる抗議運動に揺れていた。この思想に共鳴したケリーは、ロンドンへ移り、CSM(英国聖公会宣教協会)で学ぶかたわら、現地の女性解放運動に参加した。コミューンに暮らすなかで、未来の夫となる男性と出会い、結婚し、子供を授かった。そして「子供を育てるという現実をコンセプチュアルに記録する」という、のちにアートの世界を揺るがすこととなるコンセプトを打ち立てるに至った。そう、汚れたおむつという見た目ばかりが取りざたされた『ポスト・パータム・ドキュメント』だったが、この作品は、母と子供が独自の言語と感情を築き上げる過程を追う、フロイト精神分析的記録なのだ。

EveningStandard,1976, coveringMaryKelly'ssoloexhibitionattheInstituteofContemporaryArts,London

今日、イギリスでは、ケリーの影響をこれまで以上に感じることができる。イギリス国内の国立美術館を運営するテイト・ブリテン(Tate Britain)が、現在開催している『コンセプチュアル・アート・イン・ブリテン(Conceptual Art in Britain)』のなかでケリーの『ポスト・パータム・ドキュメント』を展示されている。また彼女が、ロンドンで70年代初頭に制作した初期作品を展示するエキシビションもPippy Houldsworth Galleryで開催されているのだ。「現代の若い世代は多くを知っているけれど、それらを真に理解して、自分の人生に落とし込んでいくことはとても難しいこと」と、ケリーは当時を思い出し、そこからアートの世界と一般的な世界がいかに変化したかに思いを馳せながら話す。「私の世代が若かった頃は物事がよりシンプルだった。思想家の本を読めば、それで生活や生き方が変わったのだから。シモーヌ・ド・ボーヴォワールが"結婚などするな"と言えば、私たちは結婚に代わる新たな家族のあり方を考え、作り出した。私の世代は、そんなイデオロギーに生きようとしたの。その世代から引き継いだ遺産として、今のあなたたちには、その存在にたくさんの矛盾や葛藤を抱えている」

もちろん、私たちがケリーから受け継いだものはそれ以上のものだ。現在70代半ばとなるケリーはカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教鞭をとり、今でも新たな世代のアーティストたちを触発し続けている。また彼女は、リント(糸くず)を用いての作品制作も続けている。そこには彼女の人生、また、それを作り上げてきた出来事が表れている。そして、それらがどう現在へと関係しているかが同時に描かれている。これらの作品は、過去がいかに未来に影響を及ぼすか、また公平な世の中のために私たちがいかに闘い続けなければならないかをテーマとしている。

MaryKelly, Tahrir, 2014

90年代、ケリーはバルカン諸島で戦争犯罪や虐殺をテーマに作品を制作しようとしていた。「過去のトラウマが現在の日常に付いて回る構造をどう表現すれば良いのかと悩んでいた。戦争や虐殺のニュースに耳を傾けながら洗濯をしていたとき、糸くずは生活から出るカスだということに気づいたの。ドメスティックで、何度も繰り返し行われる過程で生まれるものだと」とケリーは話す。このフォームが、新たなトラウマを生み出すこととなる。

「第二次世界大戦の影がまだ色濃く残っていた時代、私たち子供は、親の世代がホロコーストのような恐ろしい歴史の発生を黙認したんだと思いながら育った」とケリーは話す。「大戦の影響はずっと続いている。60年代と70年代、抗議運動の対象は権利の主張だった。フランスの五月革命は賃金闘争でもなく、生活のクオリティを訴えてのものだった」。五月革命は、ケリーが近年制作している作品に一貫して見られるテーマだ。まるで、彼女の親世代が黙殺した第二次大戦のトラウマが、その後世界を変えようと革命を訴えた彼女の世代の足かせになっていると考えるかのように。彼女は、その影響を「アラブの春」にも見ているという。彼女がフロイト精神分析用語を用いて「政治の原風景」と呼ぶ、大規模な反政府デモだ。

MaryKelly, Circa 1968,2004

「『ポスト・パータム・ドキュメント』の母子関係は、"切り離される"というトラウマ的瞬間を描いたもの」と彼女は言う。「だけど同時に、その儚い個人的な瞬間も"戦争と革命"という大きな物語のなかに確かに織り込まれているということも表しているの。それが引き継がれ、現代にまで至っている。それを私たちが理解しなければ、歴史は繰り返されるだけ。つまり五月革命の影響は、その後エジプトのタハリール広場で起こった数々の抗議デモまで続いているのよ」。戦争の歴史へと繋がる別離のトラウマが、糸くずで作られた彼女の作品群に大きな力を与え、彼女がロンドンのコミューンに暮らしていた時代からカイロのタハリール広場での抗議運動に至るまでの人類の歴史を紐解いているのだ。「過去をいま正確に捉えることはできない」とケリーは言う。「でも、現在に過去がどう影響するかに、私は興味があるの」

tate.org.uk/conceptual-art-in-britain

houldsworth.co.uk

Credits


Text Felix Petty
All images courtesy Pippy Houldsworth Gallery, London
Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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