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短髪はレズビアンのアイデンティティにおいてどう重要か?

完全なスキンヘッドからエモ系のツーブロックまで。ブッチでもフェムでも、いちどは髪を剃ってみるべき。

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sep 13 2018, 3:39am

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1972年、エレイン・モーガンは、フェミニズム的視点から人類学をひもといた『女の由来―もう1つの人類進化論』を上梓した。モーガンのアクア説によれば、先史時代の女性の髪はつややかで、子どもが水中でつかまれるように長かったという。そして2018年、レズビアンはセクシーだからショートヘアにする、というのが私の持論だ。

今年8月上旬、女優、脚本家、プロデューサーのリナ・ウェイス(Lena Waithe)は、ドレッドヘアを剃り落とした。彼女は『VARIETY』誌の取材に対し、髪を切ることがずっと不安だったと語っている。「私という人間を世間に受け入れてもらえるように、ひとかけらの女性らしさにすがっていた気がします」

しかし髪を切った今、彼女は「とても自由で、幸せで、喜びに満ちている」という。最悪の事態になったとしても、「ブッチやサーと呼ばれたり『色男』なんて言われても、だから何?って感じ。言わせておけばいいんです。私はスーツを着るし、メイクもしなければ髪も短い。『そんなふうに生きてたって別にいいでしょ?』と言いたいです」

まったくその通りだ。女性が髪を長く伸ばせるからといって、髪を伸ばさなければいけないわけではない、というのが、理想の世界における有力な意見だろう。しかし、理想郷はまだ実現していないし、偏見をもつ人びとは〈有力な意見〉を敵視する。ショートヘアは女性向きではないのでショートヘアの女性は女性ではない、と考える人からの批判を見越しながらも、ウェイスは堂々と生きている。

男性主体でないセクシャリティは、こんにちの資本主義にとって取るに足らないものだ。だからこそ、2018年だというのに、女性は市場の力によって、身体で男性を魅了することを要求される。そのためには、女性は男性と張り合おうとせずに、男性にはないもので勝負しなければいけない。それは胸、くびれ、毛だ。しかも毛は然るべき部位、つまり、まつ毛と頭髪のみ豊かであることを求められる。

ロングヘアの女性がスタンダードになっているため、角刈りやサイドの刈り上げ、そして恋人以外気づかないようなツーブロックさえ、女性性から逸脱しているとみなされる。例えば、ブリトニーがどん底を味わったのは、彼女が頭を丸刈りにした瞬間だと今も広く認識されている。女性がこのような髪型を選ぶと、トレンディすぎて不愉快(もはやトレンドから逸脱している段階)とみなされるか、レズビアンと呼ばれるか、その二択なのだ。

つまり、レズビアンのような外見であること、レズビアンと呼ばれること、髪型を通じてレズビアンの先人に敬意を表すことには何の問題もないのに、それを受け入れようとしない人が多すぎるのだ。さらに、レズビアンの髪型のルールはとても流動的で、多様性を認めているので、本人が望めば何でもありだ。他の女性の目にセクシーに映ると思う髪型でも、男性が疎外感を抱くようなものでも構わない。男性にはレズビアン・ポルノがある。だけど、私たちにはレズビアン・ライフがあるのだ。

レズビアンの友達数人に、いちばんレズビアンらしいと思う髪型を聞いてみた。友達に頼みごとをするのは私たちの文化なのだ。ある友達は、彼女の2008年の髪型を「片側を刈り上げるか短くして、前髪を斜めに流し、後ろは下半分を刈り上げ、襟足を伸ばして結ぶ」と説明した。つまり、ゼイン・マリクが日本を訪れたときの髪型を少し整えた感じだ。別の友人は、青、紫、ブロンドの、かつてのアンドレ・アガシのようなマレットヘアを挙げた。もっとフェム寄りの友人は、「1分刈りのツーブロック」と答えた。このように定義は人それぞれで、そのどれもが尊重されるべきだ。ショートヘアのブッチが、男性視点の狭い枠組みに敢然と立ち向かってきたいっぽうで、ロングヘアのフェムは、従来の〈女性らしさ〉の基準をひとつ満たしているのなら、すべての基準を満たすべきだとする考えと闘っている。女性であるがために、あらゆるレズビアンが男性主体の視点で見られるが、レズビアンには注目も反感も必要ない。髪は、セクシュアリティを示す重要な指標になりうる。しかし、ソーシャルメディアによって、自分自身を発信することがより簡単になった今、私たちがシェアするものや私たちを定義づけるものは、髪型以外にも数え切れないほど存在する。

私は7歳のとき、長い髪に嫌気がさした。通っていた女子校でキスチェイス(註:キスされた人が鬼になるゲーム)で遊ぶのに、ポニーテールが邪魔だったのだ。私はいつも、ビリーという男の子になりきっていた。男の子のほうがキスしてもらいやすいと思ったからだ。当時はレズビアンについて何の知識もなかったが、毎回美容師に私のカールした赤毛を切るのを断られていたので、女の子に何が求められるかはわかっていた。ジェニファー・アニストンのようにチャーミングになれると思いこみ、若い女性がこぞって真似したドラマ『フレンズ』の〈レイチェル・スタイル〉をすすめてくる美容師たちに5~6回追い返された後、私はようやく髪を剃ってくれる人に出会った。私は小さなデンティストチェアによじ登り、古いレコードが飾られた壁を見つめた。くすぐったくなるようなバリカンの音で、全身がゾクゾクした。おかしな話だが、彼女は途中で別の女性のもとへ行き、夫と交代した。しかし残念ながら、私は再び髪を伸ばすことになる。子どもたちのパーティで例の男女別ゲームで遊んだときに男の子に間違われ、女子トイレに入ろうとして怒鳴られたからだ。自分らしくいるために、決められた枠から飛び出そうとした私は、さらに恐ろしい別の枠に押しこまれただけだった。10代後半になってようやく、少々やり過ぎな美容師が、McFLYのダニー・ジョーンズのようなマレットヘアをつくりあげたため、私の髪は再び短くなった。私はまた男の子に間違われるようになり、スーツを着て、未成年の女の子と同じクラブに通う男たちの手を払いのけた。その後、偽の身分証をもってひとりでゲイバーに足を踏み入れたが、すぐにそのシーンに馴染むことができた。

ここ最近の受容の広まりは、すばらしいことだと思う。恥ずかしい思いをして美容院に『Lの世界』のシェーンの写真をもっていかなくても、今の女の子や女性たちは、ブッチの新たなアイコンとなったクリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズ(Christine and the Queens)の名前を出すだけでいい。もしくはカーラ・デルヴィーニュやクリステン・スチュワート、ケイティ・ペリーでもかまわない。このように、多くの女性がショートヘアを選んでいるのは喜ばしいことだ。ザ・サタデイズのフランキーがピクシーヘアにしてから、ストレート女性たちが美容室チェーン〈TONI&GUY〉でオーダーした髪型とはわけが違う。このせいで、レズビアンたちは、自身のゲイダー(註:同性愛者を見分ける能力)を見直さなければならなかった。女性らしさを表現する方法はいくらでもある。男性が押しつけるルックスがすべてではないのだ。

私は7歳の頃と同じスポーツ刈りで、堅苦しい小さな田舎町の大学からロンドンへ帰ってきた。けれど、その髪型だったのは2年だけだ。酔っ払ったストレートの男性に散々「少年」と呼ばれ、酔っ払った男性同性愛者から何度も色目を使われた私は、髪が伸びるまでひたすら耐えるしかなかった。大変な時期が過ぎ、髪が耳元まで伸びてくると、同僚は私が丸くなったと思ったのか、それを直接伝えてくるほどになり、仕事がしやすくなった。生活も変わった。レズビアンのコミュニティ内においても、ブッチ寄りの女性は他の女性にしつこく言い寄るという偏見があるのだ。さらに、服選びも簡単になった。ロングヘアなら、カーゴパンツにお父さんのトレーナーという格好でも、じろじろ見られることは少ない。痛快なこともある。私の元カノや私が口説き損ねた女の子の彼氏たちの頭は、結婚の話が出る前に薄くなっているのだ。それを見ると、自分のラファエロ前派の絵画のような豊かなロングヘアが誇らしくなる。けれど私は、いまだに襟足の内側を指4本分くらい刈り上げている。いつか、もういちど勇気を振り絞り、リナのような美しく大胆なショートヘアにできることを願って。世界がつくる型に自分をはめるのではなく、自分に合う型を世界に見せるために。

This article originally appeared on i-D UK.