Suzanne Lacy and Leslie Labowitz, In Mourning and in Rage, 1977; performance,
December 13, 1977, Los Angeles City Hall; © Suzanne Lacy and Leslie Labowitz; photo: Maria Karras

パブリック・アートの巨匠スザンヌ・レイシーが語る、すべての人がアクティビストであるべき理由

サンフランシスコ近代美術館で初の大回顧展が開催されたソーシャリー・エンゲイジド・アートのパイオニア、スザンヌ・レイシー。彼女がジュディ・シカゴとの出会い、アート業界の男女格差、アーティビズムを語る。「アクティビズムは市民権に付随する人間の挑戦。医者であったって、心理療法士であったって、アーティストであったってアクティビストになれます」

by Sara Radin
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03 September 2019, 10:02am

Suzanne Lacy and Leslie Labowitz, In Mourning and in Rage, 1977; performance,
December 13, 1977, Los Angeles City Hall; © Suzanne Lacy and Leslie Labowitz; photo: Maria Karras

8月まで開催されていた「Suzanne Lacy: We Are Here」展。これを中心となって企画したのは、キュレーターのルドルフ・フリーリング(Rudolf Frieling)、ルシア・サンロマン(Lucía Sanromán)、ドミニク・ウィルスドン(Dominic Willsdon)の3人だった。

本展はフェミニストアートを代表するアーティスト、スザンヌ・レイシーの約半世紀にもわたるキャリアにおいて初めての大規模回顧展で、サンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)とイエルバ・ブエナ芸術センター(Yerba Buena Center for the Arts: YBCA)という、サンフランシスコのアート施設2館で同時開催。上述のキュレーター3名が数年かけてレイシーのまとまったストーリーを構築し、本展が実現した。

73歳のレイシーの長いキャリアにおけるさまざまな要素をまとめあげるため、キュレーターたちは2か所の施設を使用するという珍しいかたちを取った。2か所の施設で同時に展示を行うことで、多作なレイシーのキャリアを特集することができた。
しかしそれぞれの展示テーマは明確に異なる。SFMoMAでは、彼女の生み出してきたフェミニストアートの広く豊かな歴史を、YBCAでは地域社会を巻き込むプロジェクトを扱った。

LAを拠点とし、およそ50年ものあいだ活動してきたレイシーは、アートインスタレーションから執筆、教育まで絶え間なく活動を行い、フェミニズム、女性への暴力、人種差別、労働者の権利など、数々の社会問題に切り込んできた。

レイシーは、共同体としての行動がもつ力を擁護している。そんな彼女の回顧展は、美術館のような公共施設が、現代社会におけるアクティビズム・ムーブメントの名高い歴史を紹介しつつ、より平等な新しい未来を描くための場所としていかに機能するかを示していた。

キュレーターたちはこう説明する。「そう、彼女の作品は、私たちが生きる今の時代と強く共鳴する。女性の権利、有色人種の若者が犯罪者扱いされる現状に加担しているメディアの役割、ジェンダー/年齢/人種/階級の差異を超えた対話の重要性。彼女が言及してきたテーマは、美術館を含む現代のあらゆる場所において最重要課題だ。そして私たちは、それがしばらくのあいだ共鳴し続けると考えている」

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Suzanne Lacy, Anatomy Lesson #4: Swimming, 1977 (detail); five color photographs; ©Suzanne Lacy; photo: Rob Blalack

今回i-Dはレイシーにインタビューを敢行。彼女の創作に地域社会の参加が不可欠なのはなぜか、大規模プロジェクトの制作プロセスについて、そして誰もがアクティビストであるべき理由を彼女が語る。

──社会的な活動にフォーカスしたアートに興味を抱き始めたきっかけは?

私はカリフォルニアのセントラル・バレーで育ちました。労働者階級が暮らす農業地帯です。子どもの頃から社会問題には関心を抱いてました。最初は、お腹をすかせたノラ猫から始まり、5歳を超えると〈不平等〉というものを、つたなくも理解しはじめました。

ジェンダーに関する偏見についてはまだ認知されていませんでしたが、セイラム魔女裁判をテーマとした映画や書籍に触れるにつれ、女性は男性と平等に扱われてはいないのかも、と推察するようになりました。この関心は、おのずと人種の不平等にも拡大しました。そして『LIFE』をはじめとする雑誌を読み、ホロコーストにおけるユダヤ人の扱いや、アフリカ系米国人への私刑を目にして、それは明確になりました。

精神科専門医になるつもりだった私は、まず最初に動物学の学位を取得し、大学院に進学して精神医学を学んだんです。当時は、社会におけるアイデンティティの問題が話題になりはじめたときでした。特に市民権運動が盛り上がっていた時期です。

その少しあと、カリフォルニアでは、労働者階級の男の子たちがベトナムに送られること、セントラル・バレーの農業労働者が酷使されることについての不安が広がっていました。私が大学院に通っているとき、若い女性向けのアートプログラムを設立した有名フェミニスト、ジュディ・シカゴに出会いました。そして彼女のプログラムに参加するようになったんです。それがきっかけでアートの道へと進むことになりました。

──1970年代、つまり女性アーティストがまだ充分な支援を与えられていない時代に、女性として、当時の新しい芸術運動の最前線に立つというのはどのようなものでしたか?

支援なんて全くありませんでしたね。特に今はアート界で数多くの女性が活躍しているので、今のひとたちには当時の状況なんてわからないと思います。もちろん、いまだに差別は少なからず存在していますが(男性の芸術作品のほうが高い値段がついたり、男性アーティストのほうが有名になったりなど)、当時は名を知られていたり、個展を開催する女性はほぼいませんでした。医療からアートまで、さまざまな分野における性差別について指摘する論考を書く女性は多くいましたが。

今の若い女性にとって、権力の座に女性が不在だった当時の状況を把握するのはかなり難しいでしょう。70年代初頭、もしレイプされるのが怖いなどと述べたら、周りはそれを「レイプされたい」という意味にとりました。女性が抱えるトラウマがいかなるものか、当時はどの国でも認識されていなかった。当時の米国は、ようやくそれらの問題が表面化しはじめた時期でした。1970年、私が女性に対する暴力抑止の活動を始めたとき、カリフォルニア州では妻を無理やり犯すことが違法ではありませんでした。時が経るにつれ、女性の経験に関する隠されていた部分がどんどん明るみになってきている気がします。

──あなたがかたちにしようとするものについて、何か反発を受けたことは?

ありますね。以前、ジュディ・シカゴとファイス・ワイルディング(Faith Wilding)というふたりのアーティストとステージに立ったとき、フェイスが何かを言ったら、ひとりの男性客にとってそれがあまりに挑発的だったみたいで、そのひとがステージに上がってきて彼女を絞め殺そうしたことがありました。

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Suzanne Lacy, Susanne Cockrell, and Britta Kathmeyer, Alterations, 1994; installation view of performance as part of Old Glory, New Story: Re-flagging the 21st Century (1994–95) at Capp Street Project, San Francisco; © Suzanne Lacy; photo: Gary Nakamoto

──あなたの作品にとって、コラボレーションやコミュニティの活性化が重要なのはなぜですか?

コラボレーションは演劇的な活動においてひときわ重要です。もともと私はファインアート・パフォーマンスの出身で、それはより個人主義的なプロセスですが、それでも私よりもどこか他の分野について詳しく知っているようなひとと協働するのが好きです。また人間同士の交流における機微にもワクワクしますし、ふつうのひとびとのコミュニケーションは感動的でありうると思うんです。

私の作品すべてが政治的なわけではありませんが、政治や長きにわたる社会の変化に関心があるなら、誰かと協力したり、パートナーとして活動することは大事です。私が生きているうちに、女性の米国大統領を目にすることができるかはわかりません。長らく待ってきました。でも、社会正義を求める長期的な活動において、自分の先人たち、そして彼らの積み重ねた努力を大切にしなくてはなりません。

コラボレーションは、共通の価値観をもつひとたちを集めるためのひとつの手段です。それにより自分や、これからも社会正義のための活動を続けていくであろう、自分より若い世代の仲間たちは、先人たちが歩んできた長く伸びる軌跡の上に立つことができる。

──大きなコミュニティを巻き込むプロジェクトを制作する場合、どんなプロセスで進めるんですか?

だいたい、まずはどこかからの招待を受けます。招待してくれた施設が何らかの問題についてのアイデアを与えてくれることもありますし、そうじゃない場合もあります。ワークプロセスとしては、まず、自分の関心や知識が他のひとのそれと交差するようなテーマについて、簡単に調査を行う。基本的に施設のことを理解して、問題を考え、たくさんのひとと話します。

そしてその問題に関連する社会的、政治的な構造を見直すんです。それから、その問題が現在、〈世間の目〉からみてどんなかたちで対処されているのか(たくさんの異なる〈世間〉があることも認識しつつ)、そしてそれがいかにひとびとに影響を及ぼしているのかを理解しようとします。参加施設や参加者と協働し、共通の議題を発展させていくんです。参加者がそれぞれの価値観を持ち寄ってそれをミックスしているからこそ、作品は感情にも政治的にも訴えかける強さをもつんだと思います。

──展示作品を観た鑑賞者に、どんなことを感じ取ってほしいですか?

アート業界的な面では、昔から続き、コミュニティに根付き、現在は社会的慣習と呼ばれているアート史における大切な軌跡が、どう存在しているかを確認させてくれるのではないかと思っています。本展は、今の世界において、大きな集団とコラボしながらメインストリームの外で活動し、社会問題を表面化させているアーティストたちのストーリーをいかに語るかについての全く新しい実験といったところ。一般のオーディエンスや若者たちにもアピールできるといいですね。本展は人種差別、年齢差別、階級差別、暴力など重大な問題を扱っていますから。

──アートはもっとアクティビズム中心になるべきだと思いますか?

アクティビズムは市民権に付随する人間の挑戦。医者であったって、心理療法士であったって、アーティストであったってアクティビストになれます。アーティストをはじめとする世の中の全てのひとたちが、市民権を得た人間の責任のひとつとして、平等な社会を求める社会運動に参加する方法を私たちは考えるべきです。

アートは必ずしもアクティビズムを扱わなくてはいけないわけではありません。でも、私個人はそういったアートに関心を惹かれがち。昔からアーティストとしてアクティビズムを推進することはあまり人気ではありませんし、印象も良いわけではありません。でもそれは、自分の市民権を明確に示す方法のひとつにすぎないんです。

This article originally appeared on i-D US.

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