David, 2017

伝説の写真家キャサリン・オピー:「インスタグラムから目をあげて、“写真”を見て」

90年代にクィアのセクシュアリティを堂々と表現して名を成したキャサリン・オピー。いま彼女はデイヴィッド・ホックニーやミシェル・ラミーなど、アート界の重鎮たちにレンズを向けていた。

by Felix Petty; photos by Catherine Opie; translated by Aya Takatsu
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26 March 2018, 6:00pm

David, 2017

キャサリン・オピー(Catherine Opie)のもっとも有名な作品といえば「Pervert」だろう。SMレザーマスクを被り、腕には針をたくさんピアシングして、胸に「Pervert(変態)」と彫り込んだ彼女自身が、トップレスで座っている作品だ。現在、ロンドンの〈Thomas Dane Gallery〉で展示されている彼女の最新作品は、英アート界の重鎮やアイコンたちを威厳と風格のうちに捉えたポートレイトだ。そこにレザーマスクはない。ただ、アニッシュ・カプーア、デイヴィッド・ホックニー、ジリアン・ウェアリングといったアーティストたちが座っているだけだ。そこには真っ黒な背景の前に人物が座る、バロック調の肖像画が並ぶ。今回のキャサリンの作品群は、油絵と写真、そして人間が生きる時代と世界を記録して表現する意義と、その概念の移ろい易さを探っている。キャサリンに話を聞いた。

Rick, 2017

——新しい作品を公開するときは、今でも緊張しますか?
それほどでもないかな。興奮はするけどね。新作にはどれも満足していて、自信があるから、公開するのが楽しみ。これまでで唯一、わたしがとても緊張したのは95 Whitney Biennialに選ばれたとき——セルフポートレイト作品を公の場で公開するのが初めてだったから。「Pervert」の公開には特に緊張した。

——あなたはとてもアメリカンな写真家で、選ぶ被写体もとてもアメリカ的なものが多いですね。
わたしは、アメリカのアイデンティティと、アメリカ人であるということそのものを主題にしてるから。アメリカのアイデンティティが持つその独自性を、わたしは探っているの。もう何年もそれは変わらない。

Gillian, 2017

——新作はこれまでとはずいぶん違った趣ですね。なにがあなたをイギリスに惹きつけ、英アート界の有名人たちのポートレイトを撮りたいと思わせたのですか?
彼らのほとんどはイギリス人アーティストだけれど、それがこのシリーズの焦点ではない。例えばわたしの姪が小さな息子を膝に抱えている作品があるんだけれど、それは、正統的なポートレイトではなく、より寓話的な世界観を放っているはず。90年代からロンドンをたびたび訪れていたので、今回は古くから友情関係を築いてきたアーティストたちと一緒になにかをしてみたかった。だから、今回の作品群は、そういった相互的な敬意を主題として生まれているんです。

——ポートレイト作品で有名なアーティストが被写体となっているものもありますね?
そう、ジリアン・ウェアリングやセリア・ポール(Celia Paul)なんかがそうね。デイヴィッド・ホックニーも偉大な肖像画家。今回わたしは、ジリアンのようにときにセルフポートレイト作品ではマスクの下に顔を隠してはいても、”セルフポートレイト”という形態で表現を試みているひとのポートレイトを撮ってみたかった。すでにポートレイトという形式について考えているひとのポートレイトを撮ることで、ポートレイトを撮るということの意味について考えてみたかったんです。そこに捉えられた瞬間に溢れる対話のようなものをとても気に入ってるわ。

Lynette, 2017

——セルフポートレイトの世界で多くの作品を残しているジリアンの撮影と、抽象的な作風で知られるアニッシュ・カプーアのようなアーティストの撮影とでは、違いなどありましたか?
わたしは被写体となるアーティストの作品のことを考えながらスタジオに入った。それはたしかです。でも、その人の作風をそのまま反映させるようなことはしたくない。たとえばアニッシュのポートレイトでは、彼の足がフレーム外に出ている。それはホックニーへのオマージュのようなものなの。ホックニーが肖像画を描くときに用いる構造とフレームの手法にヒントを得たの。アニッシュは形式的に正統なアーティスト。だから、作品のフォーカスを少しずらしたものにしたいと考えたというのもあった。でもなにより、異なるアーティストたちの間に対話を生み出したいという思いがあった。

——ということは、作品は実際に被写体が座る前にすでに構想として頭の中にあったということですか?
そう。でもポートレイトは被写体がそこに座って初めて生まれるもの。わたしはいつも被写体となる人物に、「これは正統的なポートレイトの撮影」と伝えるの。それが唯一、わたしが被写体に与える情報です。今回の作品では、ポートレイトのなかにバロックや油絵との対話を生みたかった。そこへ被写体がフレームに収まることで何かが起こる。わたしは被写体の体を好きに動かす。作品作りの現場ではうるさいの。作品の最終的な構図やイメージに関して、事前に明確なビジョンを持って挑んだりはしません。撮影はダンスみたいなものなの。でも撮影に時間はかけない。

Kayla and Owen, 2017

——そうなんですか?
そうよ。でも、時間をかけて撮ったように見えるでしょ? ところが結構な速さで撮ってる。

——バロック調の肖像画スタイルがそう思わせるんだと思います。
バロック時代の肖像画を見てみると、被写体がずいぶんと長い時間、そこに座らされていたんだろうと想像がつく。被写体はほとんどが、ぼんやりと、退屈そうにこちらを見ているから。わたしは被写体にカメラの存在を無視してもらおうとするの。だからフレームの外に目を向けてもらう。でも、写真を見るひとたちには、長い時間をかけて作品を見てもらいたい。誰かを深く見つめるという行為とその概念が好き。被写体との間には親密な関係性を持っていなくとも、そこにはとても親密な感覚が生まれる。なかには、被写体がこちらを向いているポートレイト作品も必要だけど、全部が全部こちらを見ていたら、作品が持つ力が薄れてしまう。観覧するためのスペースには、ちょっとした控えめな姿勢が反映されていなくちゃならない。今回のシリーズに収められた作品には、その世界にグッと観覧者を惹き入れて離さない力がほしかった。スマホで流れていく画像のようには扱われたくなかったから。

Jonthan, 2017

——このようなスタイルのポートレイトに惹きつけられたきっかけは?
昔から油絵が好きだったの。90年代の初期ポートレイト作品は、レズビアンのシーンでわたしが仲良くしていた友達を撮ったものだったんだけれど、15世紀ルネサンス期のドイツ人画家ハンス・ホルバインが作り上げた作風をモチーフにしていた。かつて写真技術の発明は、肖像画の概念を完全に変えた。「肖像」という言葉に対してひとびとが持っていた概念を変えてしまった。油絵もそれまでは記録の方法として用いられていたの。人間の記録だったり、時代の記録だったり、その時代にあった芸術的影響の記録だったり。今回のシリーズでわたしが用いた構成が、時間と密接な関係にある肖像画というものを上手く表現できていることを願うわ。

——カリフォルニア大学ロサンゼルス校UCLAで教鞭を振るっているんですよね?
そうよ。どうして? 教授みたいな喋り方になってる?

Isaac, 2017

——違います! ただ、写真技術の登場が肖像画の概念を変えてしまったのであれば、あなたの生徒たちと写真との間にある関係性も、インターネットの登場によって変わったのではないかと考えたんです。インターネットがある今、技術から撮影、公開にいたるまで、写真自体がとても親しみやすいものになっています。友達のポートレイトやセルフポートレイトを撮って発表するというのが、とても一般的になっていますよね。
4年ほど前、「Selfies, Self Portraiture #whatthefuck」というクラスをやったことがあるの。そこで、そのことについて生徒たちによく考えてもらった。今回のシリーズでわたしはポートレイトと油絵、そして写真の間にある関係性について問いたかった。このシリーズは記録写真ではない——Instagramにアップするような写真ではないの。もっと伝統的な、スローな写真です。見て、そこに何かを感じるためのもの。じっくりと見てもらって、そこに何かしらの感情を引き起こし、そこに微かなニュアンスや寓意を読み取ってもらいたい。見てくれるひとたちに、たくさんの問いを投げかけてくれる写真であってほしい。

——あなたの昔のインタビューを読んでいたんですが、その中であなたは、「写真に正方形のフレームを用いない」「ロバート・メイプルソープを連想させてしまうから」と話しています。しかし現代では、正方形の写真といえばInstagramです。正方形のフレームが連想させるものが変わりましたね。
そして、Instagramが正方形のフレームを用いたのはHasselbladや、Franke & Heidecke社のRolleiflex、6x6の120mmフィルムを真似てのことだった—— このあいだ、iPhone 10のデモンストレーションを見ていたんだけれど、iPhone 10のカメラには、ポートレイト写真で背景を黒くできる機能がついているの。「なんてことなの」と思ったわ。背景を黒くする効果をなんとかものにしようと、試行錯誤していたところだったから。

Anish, 2017

——今回のエキシビションには、最新の抽象風景画も展示されていますね。
「The White Cliffs of Dover」ね。

——あれは、ドーバー海峡にある、ドーバーの白い崖なんですね。
あ、明かしちゃいけないんだった……あれは「無題」というタイトルなの。「知っていると思っていることを、わたしは本当に知っているのか?」と、見るものが自問するよう仕向けたい。それは……抽象画的な筆使いは、すべてを変えてしまう。わたしは、カリフォルニアのセコイア国立公園の中に家を持っているんだけれど、そこには世界最古にして最大といわれる樹が数本あって、毎日、その前で観光客がスマホで写真を撮っているのを見かけるの。そこに来たということを誰かに証明するためにそこで写真を撮り、すぐにソーシャルメディアにそれをアップする。興味深いと思うの。「風景はどんな意味を持つのか?」ということにとても興味をそそられる。わたしは初めてイギリスを訪れたとき、オランダからフェリーで入国したの。フェリーから初めて見たイギリスがドーバーの白い崖だった。イギリスには素晴らしい風景がある——でもそれは、必ずしもアイコニックな風景ではない。緑、春、羊……そういったものが織りなす風景。海も風景の一部ではあるけれどね。そういったすべてを込めて、見る者を引き込む作品を作りたかった。そこに問いが生まれるような——ポートレイトと同様にね。小説家のジョナサン・フランゼンがトルストイの『戦争と平和』を読んでいるポートレイトを前に、見る者は何かを思うはず。『無題』を前に、それと同じような体験をしてもらいたい。

Michele, 2017

All photography © Catherine Opie, Courtesy Regen Projects, Los Angeles and Thomas Dane Gallery, London

This article originally appeared on i-D UK.

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