『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』:ナタウット・プーンピリヤ監督interview

8ヶ国でタイ映画史上歴代興収第一位を記録! ほぼ試験のシーンという異色の学園映画がついに日本で公開。監督に、ハリウッド映画への愛や恋愛要素を省いた理由をきいた。

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21 september 2018, 12:24pm

タイの俊英ナタウット・プーンピリヤの長編第二作にして、第27回スパンナホン賞(タイ・アカデミー賞)で史上最多12部門を受賞した『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』は、異色の学園映画だ。部活動や学園祭など課外活動の描写はなく、ほとんどが試験の場面に費やされているのである。

「本作は若者映画というジャンルではありません。ただ若者が出ているという映画にしたかった。なので、そういったよくあるシーンはすべて排除しました。不公平な社会システムに戦わせるようにキャラクターを描こうと思ったのです」

アジア各国で深刻な社会現象となっている熾烈な受験戦争を取り上げた本作は、2017年、タイ国内で年間興行収入第1位となっただけでなく、アジア諸国で熱狂的に迎えられた(8カ国でタイ映画史上歴代興収第一位を記録)。中国で実際に起きた“時差”を利用した集団不正入試事件をモチーフに大規模なカンニングが描かれている。

「大体カンニングといえば、同じ教室で隣の席の子の回答を覗いて写すというものだ思っていたので、そんな大がかりな方法を思いつく人がいたなんてまず驚きました。ですが、カンニングというテーマをプロデューサーからもらって、楽しく、少しファンタジックに作ってみたいと思いました。また、監督の仕事は自分の国の社会状況を反映させること、毎日の生活のなかでタイでよく見るタイプのキャラクターを作り上げることだと考えて、作品に取り組みました」

タイ映画といえば、怪奇映画やロマンティック・コメディで主に知られるが、本作がユニークなのは、ケイパーもののスタイルを採用してカンニングを描いている点だ。

「この映画のテーマは“ハリウッド映画へのラブレター”であり、70~80年代のハリウッドのスパイ映画の雰囲気を参考にしています。よく見ると、たとえば役者のコスチュームや撮影場所に少し古い雰囲気が漂っているかと思います。そういったテーマがあるので、(よりテクノロジーを駆使したカンニングの描き方もできたかもしれませんが)ハイテクな機械を使うのは最小限に留めようと思いました」

「もともと私はどんなジャンルの映画も観るのですが、本作の場合は、ケイパー・ムービーのスタイルを採るのが最適なのではないかと考えました。というのも、キャラクターの気持ちを考えた場合、高校生が答えを友達にカンニングさせることはかなりテンションの高いことで、それは政府の機密事項を盗むスパイとほとんど変わらないと思って、そこは強調してプレッシャーも与えました。タイ映画でこのスタイルで撮った人はおそらくいないと思うので、もしかしたら私が初めてかもしれません。だからすごく挑戦だと思いました」
「私は、映画の父をマーティン・スコセッシ、兄貴分をクエンティン・タランティーノだと思っています。タランティーノの映画を観ることで、私の映画の世界が広がっていきました。本作は彼からインスパイアされています。タランティーノの映画ではトランクを開けて後ろから見るカメラワークがありますが、そのギミックを本作にも使っています」

裕福な学生が多く通う進学校に特待奨学生として転入を果たした頭脳明晰な才女リン(モデル出身で映画初出演となるチュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は、試験の最中に友人グレース(イッサヤー・ホースワン)が困っているのを見かねて、自身の解答を消しゴムに書いて彼女に教えてしまう。そのあと、グレースの彼氏の御曹司パット(ティーラドン・スパパンピンヨー)がその噂を聞きつけ、ビジネスを持ちかけたことで、彼らの計画は複雑さと犯罪性を増していく。殺到する学生たちのためにより高度なカンニングの方法として、リンはモールス信号のようにピアノの指運びで解答を伝える方式を編み出す。

「そのアイデアは脚本チームと一緒に考えたもので、ヴィジュアルとして面白いと思いました。また、リンのキャラクターを立体的に見せる小道具にもなると考えました。リンはもともと頭のいい教師の子どもという面もありますが、同時に、音楽に興味のあるアーティスティックな面もあることを描きたかったのです。それは、この映画のなかには出てきませんが、自分の人生から消えてしまった母親の影響でもあります」

プーンピリヤが観客に与える視覚的なイメージを重視するフィルムメイカーであることは、本来右利きであるリン役のジョンジャルーンスックジンがより賢く見えるために役柄を左利きに設定し、わざわざその練習をさせたというエピソードにも見て取れるだろう。

「アクティング・コーチに“なんでそんなこと練習させるんだ? 可哀想だ”と怒られました。だけど、自分の考えとしては、外見からキャラクターの内面を理解してもらえると思っていました」

リンを中心とした一味は、アメリカの大学に留学するために世界各国で行われる大学統一入試「STIC」を舞台に最大のトリックを仕掛けようと、もうひとりの特待生である生真面目で勤勉なバンク(チャーノン・サンティナトーンクン)を仲間に引き入れようとする。最初はちょっとした善意から生まれたリンの犯行が次第にエスカレートしていく一方、彼女とは異なり、カンニングに協力しないバンクは、同級生からは冷たい奴と考えられている。学校内での偽りの友情のなかでの同調圧力やプレッシャーが問題を引き起こしているとも言えるかもしれない。

「現代社会において、何が正しくて何が正しくないかというのは結構グレーゾーンが多いと思う。時に自分が正しいと思ったことは、他人は正しいと思っていないことがある。自分の正義は他人の正義ではないことは多々あります。なので、同じ状況を迎えてもリンの選択とバンクの選択は変わってくると思います」

プーンピリヤは動揺や不安などの心理状態を表現すべく適宜ビジュアル・テクニックを使用しているが、なかでも印象に残るのは、ガラスや合わせ鏡にリンが反射して映る姿が、冒頭、中盤、終盤と3つの場面で用意されていることだ。鏡のなかには幾重にも重なる彼女の像が出来上がっている。

「本作はある意味で成長物語でもあります。主人公はこの地球上で自分が何者かという疑問を持っている。なので、決断する瞬間など主に“本当の私は何者?”と問いかけるときに鏡を使ってヴィジュアルとして見せています。社会のなかでいる自分は、実は様々な自分であるということを暗喩しているのです」

注目したいのは、成績優秀なリンとバンクの境遇には似通った部分が見受けられることだ。ふたりはどちらも貧しい労働者階級の高校生であり、片親の家庭で暮している。それにリンはピアノを嗜み、バンクはクラシック音楽を聴くことを好んでいる。彼らはお互いに親の窮状を助ける方法として、自身の犯す不法行為を正当化する。

「二面性を描きたいと思い、お互いを映し出す存在としてリンとバンクのキャラクターを設定しました。ふたりとも社会の底辺にいて、今よりもよりよいところに上がりたいから戦い、そう願いながらクラシック音楽を聴いています。なので、お互いに共感しやすい部分を作りました。しかし、スタート地点は同じですが、結局、ふたりは結論としては全く異なる道を歩みます。自分の人生を決めるのは自分なわけです」

これがもし普通の学園映画であれば、リンとバンクのあいだにはロマンスが芽生えるかもしれない。確かに彼らは一瞬ロマンティックな関係になりそうにはなるのだが、しかし映画はラブストーリーを排除している。

「ラブストーリーにしないことはテーマでした。脚本チームと話し合ったのは、ロマンティックな視点はなしにしようってことでした。しかし、脚本を書いているうちに人間の自然な感情として、またふたりの化学反応として、そういうシーンを全くなしにするのではなく、程度を少し緩めにするよう設定し直していきました」

一方、本作のパットとグレースは、実際のところ、第86回米アカデミー賞外国語映画賞タイ代表にも選出されたプーンピリヤの前作にして長編デビュー作『Countdown』(2012)のジャックとパムによく似ている。彼らは怠惰で自分のことばかり考えていて、甘やかされて育った裕福な子どもであり、親に嘘をついては享楽的に生きている。

「監督としてキャラクターに自分の一部はどうしても取り入れてしまうものです。たとえばリンのものの見方は私のものの見方の一部から来ていますし、バンクは自分自身の経歴──自分も似たような環境で育って、ルーザーのなかで人生を戦ってきた部分──が反映されています。一方、パットとグレースは自分がなってみたいキャラクターです。甘やかされてお金もあって、何でも手に入って何もしなくていい。そういう人物です。もしパットとグレースが海外留学したら、確かにジャックとパムみたいになるだろうなといま指摘されて思いました」

『Countdown』は、タイからニューヨークへ留学中の主人公ビーとその彼氏ジャック、そして友人パムが大晦日にパーティーを開こうと家に呼んだマリファナの売人ヘースス(Jesus)から侵略される一日を描いたホラー映画である。親から仕送りをもらいながらも学校に行かずに遊び回っている3人の留学生たちは、物語が進むにつれて、それぞれに過去に不品行を犯していたり、秘密を抱えていたことが明らかになってくるのだが、このイエス・キリストによく似た風貌のサディスティックな男は彼らに対するカルマの執行者のような存在なのだ。つまり『Countdown』は、その実、「仏教の五戒」をテーマにしたスリラー風の道徳劇になっているのである。劇中でヘーススは、「人間とゴキブリは同じだ。全く役に立たず、来る日も来る日も上手く逃げ続けようとばかりしている」という風に追い詰める象徴的なセリフを言い放つが、それは、おそらくプーンピリヤの寄せる関心──罪と償い──の本質を射抜いている。
興味深いことに『Countdown』に引き続き、『バッド・ジーニアス』もまた若者が犯した悪い行動の罪を通して教訓を学ぶ道徳的な内容になっているのだ。本作のパットやグレースは自分の行動のもたらす結果を考えられないが、主人公である本作のリンや前作のビーは、自分の犯した行動の道徳性に次第に混乱していくのである。プーンピリヤはホラーやスリラーのジャンルに焦点を当てながら、映画のテーマとして道徳的ジレンマの問題に取り組んでいるように見える。

「脚本を書いていたときには気づきませんでしたが、たぶん罪を犯して償うというコンセプトは自分の深層意識にあって、そこから出てきたのだと思います。タイ社会で育ってきていると、嘘を言ってはいけないとか、ものを盗るなとか、酒を飲むなとか色々な戒律があるわけですが、しかし実際には、自分の身の回りにはそういったものが溢れていて、逃げられません。そういった内面の葛藤が出てきてしまっているのでしょうし、その結果としてキャラクターが自問自答しているのだと思います」

また、リンやバンクにとって、カンニングは、生まれついてのロウアークラスの者が、貧困から抜け出すための手段として選択したものだとも見ることができる。『バッド・ジーニアス』は、学校への賄賂の存在などタイの腐敗した教育制度を告発すると同時に、階級格差の問題をも浮かび上がらせている。

「いちばんの問題は、タイ社会が、学校を教育ではなく、ビジネスだと考えているところだと思います。本作の校長先生はビジネスウーマンで、学生は顧客、そして教育は商品であり、学校のブランドを売っています。いい教育を受けたければ高いお金を払いなさいというシステムなので、学費は高額から低額まで様々です。親はみんな子どもを等しく愛しているものですが、みんながみんなお金持ちではないので、そこで差が出るシステムになっています。私自身は、子どもの頃は家にお金がそんなになかったので、結構下のレベルの学校に行っていました。中高のときの授業料は1学期2000円とすごく安いものでした。だからこそ、そこを抜け出していまこの立場にいられるのはすごくラッキーだと思っていますが、見渡してみると、周りの友人たちはいまもそんなにいい人生を送っていません」
「私の場合は、働いて戦って映画監督になれました。ほかの人たちのように映画学校に行って、映画の授業を専攻して、映画監督になれたわけではありません。海外に行ったときも家からの支援は一切なかったので、レストランでバイトをして、滞在費を稼ぎました。映画を撮りたい情熱だけはあったので、働きながら日中に短編を撮りました。そのままカメラを持ってお店に行って夜遅くまでバイトして帰る、すごく疲れる生活をしていました。だけどそのおかげで、映画監督になって成功することができました」

バッド・ジーニアス 危険な天才たち』9月22日から新宿武蔵野館ほかで公開。