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『エンドレス・ポエトリー』主演アダン・ホドロフスキー インタビュー

ByTakuya Tsunekawaphotos byHoumi Sakata

アレハンドロ・ホドロフスキーの最新作がいよいよ公開。主演のアダンが、自身の父親を演じること、映画制作がホドロフスキー家に与えた癒やしの効果、タトゥーを入れない理由を語る。

23年ぶりとなった監督作『リアリティのダンス』(2013)に続く、アレハンドロ・ホドロフスキーの最新作『エンドレス・ポエトリー』が11月18日(土)より公開される。前作では自身の幼少期が題材となったが、今作では青年となったアレハンドロがどのように詩人になったのかがカラフルかつ叙情的に、そして表現力豊かに語られている。

しかし『エル・トポ』(1970)『ホーリー・マウンテン』(1973)で知られる独創的な奇才ホドロフスキーは、自身の過去を振り返ってノスタルジックに描くのではない。現実と芸術的な創造を織り交ぜるマジック・リアリズム的な手法の中で自分自身をも物語に介入させることで、映画を通して、現在から過去を色付けし書き直す一種のセラピー(サイコマジック)を試みているのである。そしてここでは過去を再現する際に、比喩はそのまま真実に変わって表される。ホドロフスキーにおいては、生き方そのものが終わることなき詩的な行為と化すのである。

このたび『エンドレス・ポエトリー』公開に合わせて、彼の四男で主演を務めたアダン・ホドロフスキーにインタビューを行った。アダノフスキー(Adanowsky)という名でミュージシャンとしても活躍し、前作に続き、本作のサウンドトラックの作曲も担当した彼に、家族での映画製作から本作のユニークな試み、性とセクシュアリティやステレオタイプ、またタトゥーを入れない理由についてまで幅広く話を伺った。

──初の主演作で約10kg減量もされたそうですが、今回、自分の父親を演じ、あなたの兄(ブロンティス・ホドロフスキー)が自分の祖父を演じるというのは、どのような体験でしたか。

「心理的に非常に衝撃的な経験でした。そういう中に入れられたことは、まるで催眠術にかかったような体験であり、そのような状態で二ヶ月間撮影現場にいました」

──実際の家族が現実とはまた異なる形で映画の中で家族を演じること、あるいは家族ぐるみで製作することは、たとえばジョン・カサヴェテスやジャド・アパトーとも通じる試みとも言えるかもしれません。それによってどのような効果が生まれたと思われますか。

「家族で作るということが、とても作品に力強さを与えたと思います。なぜかというと、もしも私が父親を演じていなければ、もしも兄が私の祖父を演じていなければ、あるいは父が脚本や監督を務めていなければ、また父のパートナー(パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー)が衣装を担当していなければ、たとえ同じことをしていたとしても全く違った映画になっていたと思うからです。私たちは今まで常に協力してきました。私が楽曲を作るときも父や兄や妻が詩を書いて、私が曲をつけたりすることがありました。家族はお互いを一番よくわかり合っているので、それが上手くいっていれば、そしてみんなに同じぐらいの才能があれば、この作り方というのは一番作品に力を与えるものだと思います」

──前作『リアリティのダンス』と異なることのひとつに、今作がほとんどCGの助けを借りずに作られていることが挙げられます。劇中には黒子もそのまま登場しますが、よりアマチュアリズム的な喜びの感じられるハンドメイドな作風になっていると思います。撮影現場はどのようなものでしたか。

「本当に手作りという風に見えていただいて、ありがたいと思います。というのも、そういう風に作ろうとしたからです。今回はそこまで予算がなかったのですが、前作『リアリティのダンス』と比べられて今回の方が質が落ちているとは絶対に思われたくないという気持ちが父の中にはありました。なので、できるだけ誰もやったことのないオリジナリティを出そうとしました。黒子も出てきますが、あれは映画が虚構であること、本物ではないことをわざと観客の方に示しているのです。おそらくほとんど初めて映画の中に黒子が出てきたと思うのですが、あれもお金がないところからどうしようかと考えて生まれたオリジナルのアイデアでした。ちょうどそれがぴったりはまって、映画は虚構だということを観客がわかる意味でその手法を使いました。なのでハンドメイドというのは、まさにその通りだと思います。それと、お金がかかってないように見えないのは、エキストラの方たちがみんな無償で協力してくれたからだと思います。キックスターターで60万ドルぐらい集まったこともあり、色々な人たちが協力してくれたおかげで完成した作品です」

──マチズモでホモフォビックな面を持つ父ハイメは、男とはこうあるべきだという旧来的な男らしさを息子に押し付け、また妻を強く抑圧している人物です。しかし奴隷のように生きるのではなく、解放し自由に生きようとしていくアレハンドロをあなたは跳ねるように軽やかに演じているように思いました。ポジティヴな印象を観客に与えたいという意図はありましたか。

「私は映画初出演となった『サンタ・サングレ/聖なる血』(1989)で子どもの頃から父親の作品に出ていました。その後もアクターズ・スタジオの授業などは受けてはいましたが、ずっとミュージシャンとして人々を楽しませることをやってきました。どちらかというと頭で考えるのではなく、身体的な表現で楽しませようという気持ちを持ってきたのです。また父親が本作の時代の頃はパントマイマーだったので、身体表現をすごく大事にしていたということもあります。父は私がダンスなど身体表現の訓練をしていたことも知っていたので、今回とても自由にやらせてくれました。身体表現という意味で私の中で見本となる俳優は、チャーリー・チャップリン、バスター・キートン、フレッド・アステア、ジェリー・ルイス、ジーン・ケリーの5人です」

──以前、あなたはよく好みも変わるし、過去に立ち止まっていたくないことを理由にタトゥーを入れていないことを明かしていたかと思います。それは合っていますか。

「それは確かに正しいです。私はずっとタトゥーを入れたいと思ってきました。でもそこに踏み切らなかったのは、人というのは常に変容しているものであり、変わらないということは、意識も全く成長しないし発展しないということだという思いがあるからです。タトゥーとは事故ではなく、自分で決めて傷を入れることです。自分が入れた傷から、未来から見た過去に縛り付けられる。そこから自分が出られないようになることが嫌なので、いまも彫っていません。私は16歳のときにエルヴィス・プレスリーの大ファンで腕に彼のタトゥーを入れたくて仕方がなかったのですが、38歳になったいま、もしそれが入っていたら狂っていたかもしれません(笑)。もう私はここまで進んで成長してきました。もちろんいまでもプレスリーの音楽は大好きですが、タトゥーを入れるほど取り憑かれているわけではありません。若い頃はベティ・ペイジのような格好をしたり、そういう生き方がクールだと思ってもいましたが、でもここから50年先、自分が生きている間それがずっと同じだとは限らない。私は毎日変容しているので、やらなくて正解だったと思っています」

──「過去は最悪の敵だ」とまで言うあなたにとって、フィクションを通して過去を作り変えることで、不幸な感覚やネガティヴな感情に支配されることから癒されようとする本作の試みはどう思われましたか。

「父親だけではなく、自分たちの家系すべてが癒された行いだと思っています。なので、これをやろうとした人が父親だったことが幸運だったと感じています。なぜなら、私の息子もこの映画によって癒されているからです。彼は自分のおじいさんをハイメのような抑圧的な人物としては考えなくなりました。映画の中でアレハンドロとハイメが和解したことが実際に思い出を変えてしまっているわけです。映画を通して父親自身が変えたのと同じように、すでにそこで現実を変えてくれました。もうそれ以上自分たちが縛られることはないという意味で、家族全体を過去から自由にしてくれたと思います」

──何かを作るという行為が一種のセラピーのような効果を発揮すると思われますか。

「私の父親がやろうとしているアートというのは、本当に傷を癒すアートだと思います。いま自分たちが生きている現実の中で必要なのは、そのようにこれからの種を撒いていくことだと思います」

──グラマラスで巨大な女性へのフェティッシュやドワーフ、あるいはクラウン、サーカスなどフェデリコ・フェリーニ的なモチーフが本作には登場しますね。また、体の大きな人や小さな人のセクシュアリティに対してオープンマインドな視点も感じられるかと思います。あなたがMVで監督されている作品にも性や裸というものが多く出てきますが、そういったものをもっとオープンにしていきたいというような意識があるのでしょうか。

「性や裸を映像の中で扱う際には、何か意味のあるものでなければダメだと私は思っています。単なる性的な対象に成り下がったものは使うべきではありません。自分のMVに関して言えば、私自身が父親になる前に作ったものなので、いまの状況とはたぶん異なる部分もあると思うのですが、あのときは挑発したいという意識がありました。それと完璧に性的な対象になっているポルノというものを笑い飛ばしたかったということもあります。しかしいまは挑発することによって、それを受けた人から何か否定的なエネルギーが返ってくること──たぶん見るのがちょっと辛かったり嫌だと思う人からすると否定的なエネルギーが湧いてくるということがわかりました。だから今後もし自分が挑発することがあるとすれば、全く反対のやり方で、もう少し受け手の意識が目覚めるような形の挑発をしたいと思います」

©️ 2016 SATORI FILMS, LE SOLEIL FILMS Y LE PACTE

──たとえばパリの通りにあなたと共演のテリ・ジェンダー・ベンダーが全裸で飛び出る「Don’t try to fool me」のMVでは挑発することを意図していたのでしょうか。ゲリラ撮影をして周囲の反応も収めることも狙っていたように思えます。

「あれは別に挑発したわけではなく、楽しいビデオを撮っただけでした(笑)。当時パリに住んでいて、そのときの恋人(テリ・ジェンダー・ベンダー)──いまはもう有名な歌手になっていますが──と歌を作って、せっかく作ったのだから何か楽しいものを作ろうと思って撮ったものです。みんな裸自体をセクシュアリティでしか見ない人が多いので、それに対する挑発として、私は若い頃はパーティなどで割とすぐに裸になっていました(笑)。そうやっていたのは、なぜ自分の肉体というものを恥ずかしがらなければいけないのかと思っていたからです。それは宗教がそういう風にしてしまったのではないかと私は思っています。服を着ることなんてバカバカしいだろ? というのをみんなに言うために若い頃は裸になっていたのです(笑)。そのときは若かったこともありましすし、イギー・ポップの大ファンだったので、突然、裸になることをやってみたかった部分もありますが(笑)」

──「Dancing to the radio」のMVはどこか『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)のようなキッチュさがありますね。ご自身でメイクもされることがありますが、ハイメがジェンダーを固定化しようとするのとは異なり、あなたはもっとそういうことに対して自由な印象を受けます。

「ハハハ(笑)。若かったからやっていた部分もありますが、みんながハイメのように思っている固定観念に対して疑いを持ってほしかった気持ちがありました。なので、あのビデオも「この人はゲイなのだろうか?」「この人は女装してるのかしら?」とか人に対して見る人が色々考えるということを挑発したのです」

──音楽についてもお伺いしたいと思います。音楽のアイデアは演じている最中からイメージがあったのでしょうか。サラの実家でのシーンでエミール・クストリッツァ作品のようなジプシー調の音楽が使われているのも印象的でした。

「もう撮影のときからイメージはありました。父がこれまでに作ってきた映画の曲からかけ離れないようにと思い、『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』のサウンドトラックをすごく聴きました。また、出来上がった曲を渡すときにはデジタルではなく、アナログで録音したテープを渡しました。それはちゃんと前の映画から一貫性があるようにと考えたからです。いまは誰もテープには録音しないですよね。特に映画音楽ではリスクが高いのでみんなやらないですが、私は60年代のマイクと70年代の機器や楽器を使って、テープで録音しました」

──クライマックスの祝祭的なパレードの場面で、あなたは酔っ払った天使のような姿で登場しますね。あの場面はどういう風に捉えましたか。

「あの祝祭のシーンは、アレハンドロのファナティックな部分がすごく出ていると思います。みんな祝って楽しいのだけれども、どこか悲しくて寂しいというような雰囲気がありますよね。そこでピエロの姿で大きな羽をつけたアレハンドロがワインのボトルを持って中にいる。外からは一見楽しそうに見える中で、彼が存在への危機感を感じているということを出したいというのが父の意向でした。私は演じていてとても楽しかったです」

エンドレス・ポエトリー
2017年11月18日(土)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷アップリンクほか全国順次公開