変わりゆく世界について マキシン・ピークが語る

真の変化を求めるならば、自分のことだけを考えるのではなく、団結しなければいけない。女優、マキシン・ピークは「子どもをつくらないことを選択する新しい家族の在り方は、子どもがいる家族と同様もしくはそれ以上に、政治と地球の未来に貢献しているのかもしれない」と語る。

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08 december 2016, 6:01am

私は、政治運動がかなり激しかった70年代から80年代にイギリス北部で育ったの。ボルトンは工業都市だったから、当時は政治的な議論が絶えなかったわ。社会が混乱状態に陥っている今、私たちは政治に対して、もっと積極的にならなければいけない。だけど、ここ数十年のあいだで、昔と違った政治の在り方が目立ってきているように思えるの。私の育ったボルトンでは、自分たちが世界の中心という考えはなくて、中心になっていたのは周りの人たちだった。他人を助けるために自分に何ができるか、ということをみんな大事にしていたの。今の社会は「やりたいことをやる権利がある」「あなたにはその価値がある」「いつでも自分を一番に考えて」というようなメッセージで溢れているでしょう。昔は「私たちは」「私たちの」という考えだったのが、いつの間にか「私は」「私の」という考え方が広まってしまった。世の中をより良くするためではなく、自己中心的な考え方をもとに投票をする人も多いように感じるわ。「フランスにある別荘にとって有利か?」「自分の子どもは、いくら相続税を払わなければいけなくなるのか?」というようなことを考えて投票先を選んだりね。前回の選挙やEU離脱の是非を問う国民投票も、私の周りにいる人たち(主にアーティスト、俳優、ミュージシャン)は、労働党政権がどれだけ自分にとって不利になるか、イギリスがEUに残ることが自分にとっていかに有益かを話す人が多かった。自分だけ得をする投票なんて、サッチャーが提案して、ブレアが引き継いだ「自我の社会(society of me)」と同じでしょう。

私は、社会主義と共産主義のなかで育ったの。政治的に一番影響を受けたのは、共産主義者だった義理の祖父ジムと祖母だと思う。私の母は決して政治的な人ではなかったわ。だけど、本人も意識しないレベルで社会主義の影響を受けていたと思うの。彼女の育った環境を考えるとね。小さい頃から、そう思わせる節があったのよ。例えば夜、遊びに出る私を車でボルトンまで送る途中、雨のなかでバスを待っている人に「 ボルトンに行くなら乗っていきなさい」と声をかけていたわ。知らない人たちに挟まれて、後部座席でぎゅうぎゅうなることは日常茶飯事だった。それは彼女にとってごく自然なことだったのね。乗れるのだから、乗せてあげるのは当然でしょう?「 雨も降っているし、バス代も節約できるわ、車に乗りなさい」って。彼女は人のために生きすぎたのかもしれない。年を取ってからはそれが負担になっていたと思うわ。母は8年前、膵臓癌で亡くなったんだけど、逝く直前に「仕事と恋愛で楽しめているか」って私に聞いたわ。泣いている母を見たのはそのときが初めてだった。自分がいなくなっても私が大丈夫だって確認したかったんだと思う。あまり感情を表に出す人ではなかったし「愛している」と自然に言い合うような家族ではなかったけど、母はとても情が深くて寛大な人だった。自分や娘たちよりも、見知らぬ人に優先して手を差し伸べるような人でね。そんなところで私は育ったけど、今の社会ではそういう環境はないんじゃないかしら。ひとりひとりが大切じゃないと言っているのではなくて、自己中心的ではない、という意味で。昔はこんなにも自己主張の強い、利己的なコミュニティじゃなかったし、人々もこんな風に孤立していなかったわ。だけど、長いあいだ受け身の体制だった政治活動は、ここ数年、特にここ数ヶ月間に入って、積極的に政治参加する行動主義が目立ってきている。これだけひどい騒動がないと、社会の意識が呼び起こされないなんてひどい話だけど、きっかけはどうであれ、人々が政治に目覚め始めたのは素晴らしいことね。ただ、ハッシュタグとか、Facebook上の署名運動、Twitterでの拡散だけがアクティビズムだと勘違いしないでほしいの。それだけだったら、原動力がないでしょう? 最近のデモも、80年代に行われていたデモとは在り方が根本的に違ってきている。今のは中流階級の遠足みたい。「 ボンボンの友達と一緒に、乳母車でシャンパンを飲もう!」っていうような印象よ。もちろん、人数を集めて抗議すれば少しは話題にはなるけど、それだけでは到底足りない。政治闘争は簡単なことじゃないし、快適なはずがないのよ。誰もが日々、政治と共に暮らしている。ただ生きているだけで、嫌でも政治に支配されているのよ。どの国のどの地域で暮らしているか、住んでいるのは持ち家か、それとも賃貸か、どんな仕事に就いているか、給与はどうか、職はあるか̶̶…こうしたことはすべて政治と関係しているでしょう。人々を下において、満足できる雇用を与えない資本主義。それによって追い詰められた人たちをたくさん見てきたわ。そういうところにこそ政策が必要なのよ。

女性を個人として尊重し、女性にもっと権限を与えることに力を入れるべきだと思うわ。今私たちは、受け身になってしまっているのよ。70年代、女性の権利のためにあれほど懸命に戦ってくれた女性たちが何のために戦ったのか、改めて考え直さなければいけない。世間ではいまだに「女性と母性」「女性と美しさ」「女性と生殖力」という考え方が支配的でしょう。自撮りへの執着やSNSの広がりは、新しい考え方を広げることの妨げになっている。ディスプレイのなかだけの話じゃないわ。テレビやWomen's Hourラジオをつけるたびに、母親になることについての話ばかりで圧倒される。子どもをつくることに強い執着があったわけではないけど、私も試みはしたわ。だけど、2回流産して、医者に行ったらNF(神経線維腫症)かもしれないと言われて。そのときは本当に辛かった。子どもを産むのが当然、産まなければいけないという考え方でいると、そのことしか考えられなくなるのよね。だけど、私とパヴ( ピークのパートナー)には向いてなかったんだって考えたら、すごく楽になった。でも、いまだに同じような経験をしている友人が自分を責めているのを見ると、やるせない気持ちになるの。「私は女ではないのか」「女性としての役割を果たせていないのではないか」。そんな風に考えてしまう友人を見て、心が痛むわ。家族、子ども、生殖̶̶こうした事柄は、何度も繰り返し私たちの脳に叩き込まれてきたことなの。アンドレア・レッドサム(Andrea Leadsom)がテレーザ・メイ(Theresa May)に対して「あなたは子どもがいないから未来に貢献していない。だから候補者として不十分だ」と言ったけど、信じられないわ。未来って、国レベルのこと? それとも子ども個人の将来のこと? これもまた、母性や家族、自己といったものに対する盲信からくる考え方よね。子どものいないすべての人に代わって話すことはできないけど、子どもがいない人は、みんなの子どもの将来とみんなの未来両方の面倒をみていると思う。私は学校で喧嘩した自分の子のことを心配するだけではなく、若い世代全体に目を向けるわ。これまで私たちは、自分に近い家族や友人たちだけを守り、そのグループ以外のことはどうでもいい、というコンサバティブな考え方を植えつけられてきた。家族に重点を置くのは、今も昔も変わらないわね。だけど、女性にとって、自分が母親になるかならないかを決めるのは、とても難しい選択なのよ。キャリアを優先するかどうかや、他人にこう見られたいという理想像にも関係してくるから。私たち̶̶特に若い女の子̶̶が日々耳にするくだらない女性像を気にしないで済むために、私たちには、定期的に発信される、もっと明確で強いメッセージが必要なのよ。「自分」を持って、自身の道を歩むこと。

自分に嘘はつかないで! 自分だけではなく、他の人のことも考えて! お互いのために共に戦いましょう。

Credits


As told to Hattie Collins
Photography Chloé Le Drezen
Hair Sharmaine Cox at The Book Agency using L'Oréal. Make-up Lucy Joan Pearson using Laura Mercier. Photography assistance Gwen Trannoy.