バック・トゥ・インディビジュアリティ: PFW MENS 20SS
インディビジュアルな表現は、多様性を望む時代にどんな力を与えうるのか。変化する公式スケジュールのなかでも異彩を放っていたまったく異なるふたつのブランド、〈Palomo Spain〉と〈TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.〉を通して感じること。
photography via voguerunway.com
ここ数シーズンで、パリ・メンズのファッションウィークは新時代的進化の局面を迎えているといって良いだろう。タイムテーブルにも多様性への意識が反映されていて、伝統的なメゾンが名を連ねるオフィシャル・スケジュールに、詩的なコレクションにアンティークの生地を保存して再利用することでも知られる〈bode〉、センシュアルな視点からジェンダーバイナリーに切り込む〈Ludovic de Saint Sernin〉などが新しく加わった。現代的な問題意識と直接的にリンクするような、個性的なインディペンデントブランドに光が射している。このスポットライトはしばらく消えることはないだろう。
その一方で、ある種のファッションゲームの駆け引きには目もくれず、誰でもなく、自分の過去と現在を徹底的に内省し、よりシンプルに着たいと思う洋服を具現化した独特なクリエイションを発表したのは日本人デザイナー、宮下貴裕だった。
パリで2度目となる〈TAKAHIROMIYASHITATheSoloist.〉のランウェイ・ショーは、抒情詩に耳を傾けるような、ロマンティックな時間だった。つなぎ状になったホワイトシャツ。パット入りの白黒のテーラードジャケット。シンプルでポジティブな言葉で埋め尽くされたタイポグラフィ(まるで、ミッキーマウスの世界から出てくるような言葉!)。タイ付きの解体されたカラーと、重ね付けされたアクセサリー。斜めにかけられたジレ。マリンブルゾンやスカートといったユニフォーム的な要素。そして、宮下が「強く影響を受け、今も根幹にある」という80~90年代のカルチャーシーンや音楽シーンを率いた人物のスタイル。そうした無数のエレメントは、多分にもれず自身の志向性に忠実なものであふれていた。

スピリチュアライズドのサウンドトラックが流れるランウェイに現れたのは、イノセンスとミニマルな聡明さをあわせもった、貴公子然とした男性のイメージだ。テーマは「Duet.」。「今の世の中に自分の気持ちに寄り添う事のできる洋服があまりにも少ないことに気付く」と、宮下貴裕は素直な思いをコレクションノートに記していた。そして、コレクションは「ただ純粋に服が好きであり、“洋服を着る”という行為により自分自身を表現してきた自身の深層心理の表れ」と、現在の宮下が「パーソナルな対話」を繰り返して生み出されたものだ。洋服を着ることを通した自己表現って、自分自身とデュエットすることなのだ。そう言いたげに、インディビジュアリティの永遠性こそがファッションの本質的な魅力のひとつなのだと語りかけていた。

個々の違いが明らかになって、非大衆的なコミュニティの影響力の高まりと歩幅を合わせるようにして、トレンドも多様化している。当然だ。ラグジュアリーストリートの大きな潮流はわずかに息をひそめながら、リラックス感のあるテーラードやセットアップスタイルがことさら目に映るのは事実だけれど、それも百人百様だ。メゾンの技術を遺憾なく発揮する〈Dior〉のテーラーメイド、前後の身頃丈を変えたり、深いスリッドを入れた〈UNDERCOVER〉、〈Alyx〉流のクラシックスタイル。トラディショナルな仕立てに身頃はディコンストラクト、カラーリングやプリント、シルエットの緩急といった変化がそれぞれに加わりながら、こうした保守的なドレスアップ的テーラードとはまた異なるスーツスタイルの登場によって、メンズウェアに静かな革命がたしかに起こっているようだ。
そんな大局的な動向を脳裏に描いていたときだった。ファッションウィーク中のパリの街中で“女性のシンボルのひとつ”ともいえる、クラシカルな真珠のネックレスで首元を彩った若い男性をみかけた。その独特の色気は、意外性こそあれど、バッドテイストな違和感はまったく漂っていなかった。

その数日後、男性貴族が女性の身体を手に入れたことから始まる物語、ヴァージニア・ウルフの『オルランド』をテーマにした〈COMME des GARÇONS HOMME PLUS〉で、〈MIKIMOTO〉の二連パールネックレスと出合った。思えば、リアーナが手がける〈FENTY PUMA〉の2017年春夏にも、パールネックレスを身につけたメンズモデルの姿があったのを憶えている。

街中で刺激を受けたあの日は、男性とパールの新しいスタイルの明らかな萌芽を肌で感じた瞬間だったのだ。もはやパールは女性性や品格を彩るためだけのものではない。旧時代的な歴史のあるシンボルは、稀代の作り手か、伝統的な暗黙のルールを気にもとめない人々の手によってみるみるうちに解体され、新鮮な価値が付け加えられていく。パールはほんの一例に過ぎない。私たちが本心で何を求め、何に手を伸ばすべきなのかという選択には、実は大それたルールなどないのかもしれないのだ。
社会のうごめきとリンクしながら「マスキュリニティ(男性性)」の新しい解釈を追求することは、メンズウェアデザイナーにとってもっとも重要かつ現在的なテーマのひとつだろう。私たちは、性、アイデンティティ、そして「個人主義(インディビジュアリズム)」とファッションの関係性をとりまく“ルール”からの解放を望んでいる。そんな動きの渦中にいるのではないだろうか?
スペインのデザイナー、アレハンドロ・ゴメス・パロモ(Alejandro Gómez Palomo)によるコレクションはひとつの回答だった。PFWMのオフィシャルカレンダーに初めて招かれ、初日のトップバッターを飾った〈Palomo Spain〉は、「マスキュリンなファッションの倦怠感」と「未来の男性像」に思いを巡らせながら、伝統的な男性らしさをもつ様式美から逸脱するフレッシュな美学を表現していた。かぎ編みのイブニングドレスやゴージャスなコルセット。古代ローマのトーガを思わせる流れるようなシルエット。そこに、PVCやナイロン、トランスペアレントなオーガンザやレース、フェザーをふんだんにミックスしている。強いて言えば、レディスウェアを代表する素材ばかりだ。
そう、刺激的なのは、メンズウェアをただ単に女性服のコードにすり替えているだけではないということだ。ある特定の男性たちに捧げられたランウェイには、二元論的なフェミニニティを過剰に表現するようなメイクアップはほとんどない。あるのは、モデルが肩の力を抜いて、自分らしく歩みを進めるその姿だった。明快なジェンダーの規範からの逸脱。従来的な“性”の概念にとらわれない新しいエレガンス。そうした服を心から必要とし、身にまとうことで幸福を感じる人たちが、少なくともショー会場のフロントロウに確実にいた。彼らは地元スペインで、「Palomo Boys」と呼ばれているのだと言う。自分とは違うかもしれないが、羨ましくなるほどクールだ。
こうした“ニュージェンダー”にまつわる美意識の広がりは歓迎すべきことに違いない。その一方で、ファッションデザインがメスを入れることができることはそれだけではないはずだ。半端な気持ちで社会問題に目を向けて、大ゲサなステイトメントを掲げるブランドの洋服より、着る人や作り手の個人性に紐づくファッションとの新鮮な出合いに心躍るのは私だけではないだろう。
日常の生活空間にせよ、SNSの世界にせよ、批判的な他人や社会の目から逃れようと縮こまいがちな自分を解き放ってくれる、そんな妥協や忖度のかげりのないクリエーションは、いつだってパワフルで魅力的だ。きっと、そっと誰かの背中を押す力がある。それに、自分のアイデンティティとは何かを自分自身に問いかけ、その禅問答に答えを出してみることの大切さは、学校では教えてくれないのだから。
Credits
Text Tatsuya Yamaguchi