インディペンデントマガジン<IWAKAN>のエディター、Kotetsuに聞いた『違和感』を発信することで伝えたいこと

クリエティブな形で多様なクィアカルチャーやジェンダー規範に対する違和感を発信するマガジン<IWAKAN>はこの世の当たり前に一石を投じる。同マガジンのエディターの一人であるKotetsuに聞いた『違和感』を発信することで伝えたいこと。

by Kazuki Chito
|
25 May 2021, 4:29am

今年のプライドパレードは間違いなく、今までとは違った。プライドパレード含め、レインボープライドはアメリカ・ニューヨーク市内にあったゲイバーに警察の弾圧的手入れに対する数千人規模の抗議が発端となったLGBTQの人権を主張し、戦ってきた人、そして今戦っている人々を讃えるためのフェスティバルである。東京でも先月行われた「東京レインボープライド2021」は2020年と同様、オンラインを中心とした内容で開催された。しかし、平等な社会を求め、戦い続けているのは東京レインボープライドだけではない。時代の潮流に逆らいながら、紙雑誌という選択を続けるインディペンデントマガジン<IWAKAN>はクリエティブな形で多様なクィアカルチャーや既存の性規範に対する『違和感』を発信し続ける。今回はそんな<IWAKAN>のエディターの1人として活躍するKotetsuに同マガジンを通して伝えたいことを聞いた。

<IWAKAN>がどのようなマガジンか教えていただけますか?

全ての人々のために作られた、多様な人々がもつ違和感を問いかけるマガジンですね。<IWAKAN>のメインテーマとして『ジェンダー』が大きな軸としてあり、そこに付随している違和感について語る雑誌となっています。「当たり前にされてるけど、本当に当たり前なの?」という問いを読者に投げかけることがこの雑誌のテーマです。

どういった経緯で作り始めたのでしょうか。

一番のきっかけは、国内で唯一販売されていたクィア雑誌が実質廃刊になってしまったことですね。クィアをトピックにしているといっても、ゲイのためのアダルトカルチャー誌だったので一般書店に並ぶというよりかは、新宿二丁目のゲイ専門書店にしか並べられていませんでした。去年、クィアカルチャーに関する雑誌が事実上の廃刊となってしまった中で、自分たちで声を上げ、ないものとされている社会の中で自分たちの存在を主張したかったので、僕含め既存のシスヘテロノーマティブな社会に違和感を持つ5人でを作ることにしました。

クィアに焦点を当てる際、なぜ『違和感』に着目したのでしょうか?

元々、クィアという言葉が持つ意味は「当たり前じゃないもの、知らないものを目にした際に発生する不快な気持ち、違和感」という意味なんですね。僕たちのようなクィアの人は、社会の中でたくさんの違和感を感じながら、そして社会から違和感あるものとして扱われ生きてきました。でも、その違和感をネガティブな状態で残しておくのではなく、ポジティブなエネルギーに変換していくことで次の世代へ良い受け渡しができるのではないかなと思い、『違和感』に着目することにしました。とにかく、自分たちが持つ違和感をセレブレイトしたかったんです。

誰に<IWAKAN>を届けたいですか?

一号目を出すまでに仲間たちと様々な議論を交わしました。「クィアのための雑誌」と謳ってしまうとクィアの人達だけにしか届かなないことに気づきました。そうしてしまうと、「クィアの要素を持っているかもしれないけど、やっぱり自分はシスジェンダーだし、ヘテロセクシュアルだから自分は当事者じゃない。」と思い込んでる人たちを巻き込めないし、モヤモヤを感じている人たちを救い出すことができないと思いました。なので、この世の全ての人に読んでもらいたいです。

マガジン制作過程でKotetsuさんの中で変化はありましたか?

新しい視点をいつも得ているような気はしますね。二号目となる『愛情』をテーマにした号が3月に発売されたのですが、その号で取材したカナダに住むルーカスさんからは刺激を受けましたね。その方はQUEERING THE MAPというマッププラットフォームを作っているのですが、そのマップはクィアによる集団行動やカミングアウトをした話、暴力等を受けた経験や歓喜に満ちた愛の瞬間までをマップにピン刺しをしてアーカイブとして残しているプラットフォームになっているんです。クィアな出来事が起こる場所を想像すると、多くの人たちはカナダではモントリールのザ・ヴィレッジ、日本では東京の新宿二丁目、今では渋谷や原宿を想像するかもしれません。しかし、それらはシスジェンダーゲイ男性、もっと限定するとヘテロっぽく見える人たちのために作られている場所なんです。それ以外のジェンダーアイデンティティやセクシュアリティを持つ人たちはそこに居場所を見出すことはとても難しいんですよね。でもQUEERING THE MAPを見ると特定の場所ではなく、本当に様々な場所にピンが刺されています。そのマップからクィアって別に場所で制限されているものじゃないし、そう想像してしまうことに対する違和感を改めて感じました。ルーカスさんからはクィアはどこにでもいるという当たり前のことや、場所というのは特定の人たちによって特定の人たちのためだけに作られている可能性があるということを気付かされたような気がします。

二号目が『愛情』がテーマになっていると教えてくれましたが、毎度テーマはどのように設定されるのですか?

基本はジェンダーを軸に置きつつ、その周りに存在する事象を取り扱うようにしています。ジェンダー観に縛られた「当たり前」がこの世にはたくさんあると思うのですが、それらの事象をジェンダーから開放するということが全てのテーマに共通していますね。愛におけるジェンダー観を解放することで新しい何かが見えるんじゃないかなって思って、二号目はそのようなテーマにしました。僕たちは愛が何かを知っているわけではないから、何か決まった答えを載せるということはせず、恋愛以外にもセルフラブや異性恋愛至上主義に対する違和感などにフォーカスを当てながら、愛とは何なのかということを問いかけるマガジンに仕上がったと思います。

ウェブメディアがカルチャー媒体の主流となってきている今、紙雑誌という選択をした理由は何なのでしょうか。

景色を変えたいからですね。クィアのためのウェブメディアって結構あるんですよ。どんどん増えていってます。その反面、本屋さんでクィアの存在を見つけることは稀なんです。LGBTQ特集のファッション雑誌はたまに置いていますが、クィアというジェンダーやセクシュアリティがトレンドのように扱われてしまってます。僕たちはトレンドではないし、そんな書店の景色を変えたいという思いがあったのが一番の理由です。もう一つの理由としてあるのは、地方の人たちに届けたいという思いがあったからですね。クィアについて発信しているウェブメディアを開いても、遠い世界で起こっている「自分とは関係のない何か」と感じてしまう人が多いと思うんです。テレビを見ても、クィアの存在はオネエタレントかNHKの真剣なドキュメンタリーに出てくる人たちかのいずれかしかないし。その2パターンに自分を落とし込むことってかなりキツくて。多様なクィアがいるってことを地方の人たちに伝えたいし、その人たちが安心できる物理的な居場所を作りたいと思って紙雑誌にするという選択をしました。

<IWAKAN>を通してKotetsuさんが世間に問いかけたいことは何ですか?

「あなたって本当に非当事者なの?」ということを問いかけたいです。ある友達が「自分は当事者(クィア)じゃないから、コテツたちのことを理解出来ないのが辛い。」って僕に言ってきたんですよ。でも、自分が非当事者じゃないとなんで言い切れるのだろうって思ってしまって。僕たちクィアはシスジェンダー、ヘテロセクシャルが当たり前の社会に生きてきたから、常に自分のセクシャリティであったり、ジェンダーアイデンティティと向き合う機会が自然と多いと思います。僕も時間をかけて自分のアイデンティティを構築していきました。今でも知識を得るたびに揺れ動いたり変化していったりします。でも、シスヘテロの人たちは向き合う機会も少なかったはずなのに、どうして自分のアイデンティティはこれだって言えるのだろうって。社会や歴史が構築したシスヘテロノーマティブな枠を再構築することによって、その人自身も多くの選択肢を得ることができたり、与えられるようになると思っています。これは本当に批判でもなくて、純粋な疑問でマガジンを通して問いかけていければと思っています。



Tagged:
Magazine
Gender
LGBTQ
IWAKAN