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『グッバイ・ゴダール!』:ステイシー・マーティン interview

ラース・フォン・トリアー『ニンフォマニアック』で鮮烈なデビューを飾り、新作『グッバイ・ゴダール!』で伝説の女優アンヌ・ヴィアゼムスキー役を演じた女優ステイシー・マーティン。つねに刺激的な作品への出演を続ける彼女が語る、映画作り、そしてアーティストたちへの真摯な思いとは?

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jul 10 2018, 9:42am

Photography Houmi Sakata

一昨年、女優で作家であったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説が映画化されるというニュースが、映画ファンの間で大きな話題を呼んだ。まだ大学生だったときに若き天才ゴダールと出会い、結婚。『中国女』(1967)に主演し、映画女優として、ゴダールの妻として過ごしたパリでの日々を綴った2冊の小説。その映画化を、『アーティスト』(2011)のミシェル・アザナヴィシウス監督が手がけること、そしてルイ・ガレルがゴダール役を演じることも驚きだった。だができあがった映画を見ると、それは実に軽やかでポップなコメディ映画だった。ゴダールを神格化することも、批判することもない。困難な時期を共に過ごした奇妙なカップルの物語が、ユーモアを交えてとても爽やかに描かれている。

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アンヌ役を演じたステイシー・マーティンは、2013年に、ラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』でヒロインの若き時代を演じスクリーンデビューを果たした期待の新鋭女優。『シークレット・オブ・モンスター』(13)『ハイ・ライズ』(16)、『ゲティ家の身代金』(17)など話題作に次々と出演する彼女には、今後の出演作に、女優キルスティン・ダンストの長編監督デビュー作品や、チェルノブイリの原発事故を扱った『故郷よ』(11)で話題を呼んだミハル・ボガニム監督の新作などが続々と控えている。

来日した彼女に話をうかがうと、昨年10月に亡くなったアンヌ・ヴィアゼムスキーとのカンヌでの対面についての感動的な逸話、そしてこの映画に対する観客たちの反応についても臆することなく答えてくれた。インタビュー終了後には、「日本で若い才能のある監督がいたら教えてほしい」と彼女の方から質問を受け驚いたが、その言葉の端々からは、映画作り、そしてアーティストたちに対する強い尊敬の念がうかがえた。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

——本作はとてもコメディ色が強く、その軽さにまず驚かされました。とはいえ、こうした題材を映画化するうえで、ゴダールの熱狂的な信者やシネフィル層からの反応について、プレッシャーは感じませんでしたか。

もちろんプレッシャーは感じていました。アザナヴィシウス監督もやはり強く意識していました。ゴダールという、様々な人たちに非常に大きな影響を与えた人物についての映画をつくるわけですから当然ですね。でも監督は、決してゴダールの作品や人となりに対して考察や判定はしない、と決めていました。もともとこの企画は、アンヌ・ヴィアゼムスキーが書かれた小説を読んだ監督がそこにコメディの可能性を感じ、その案をアンヌがおもしろがってくれたところからスタートしました。この映画は伝記ではない。ちょっとした皮肉や遊び心をもってつくられたコメディ映画なのです。そうと決めたら、私たちはとても楽な気持ちで臨めました。アンヌの記憶をたどった小説がもとになっていて、それをさらに監督が脚色をしている。俳優たちにとってはちょうどいい距離感がありました。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

——監督の決めた方針が、俳優たちの自由度を高めてくれたわけですね。

昨年のカンヌで公式上映した際には、この映画を気に食わない、という人もやはり何人かいました。でもおもしろいのは、彼らに「アザナヴィシウス監督らしい作品だと思いましたか?」と聞くと「監督らしいと思った」と言うんです。「映像は美しかったですか?」「美しかった」「見ていて笑いましたか?」「笑いました」。彼らにとっては、映画の出来というよりも、もともとのコンセプト自体が問題だったわけです。私が思うのは、映画というのは、人々の議論のきっかけになるものだということです。それこそが映画の素晴らしさですよね。

——アンヌ・ヴィアゼムスキーという実在の役を演じるうえで、困難はありませんでしたか。

彼女の主演作で一番大好きなのは『バルタザールどこへ行く』(1964)です。役者としての彼女は、何もしていなくても、そこにいるだけで強い力を感じさせる人。ただ物書きとしての彼女の側面については、この映画に関わるまで知らなかった。映画のもとになった2冊の本を読み、感動しました。ゴダールと過ごした日々を思い出すには痛みも伴ったはず。でも彼女は恨み言を言うことなく、実にエレガントな調子でこの物語を綴っています。そのことに強いインスピレーションを受けました。だからこそ、彼女を模倣する必要はないと思いました。彼女がどういう人間であるのか、そのユーモアや魅力は物語にしっかりと染み込んでいたので、模倣などしなくても自然に立ち現れてくるとわかったのです。

——撮影前には、あえてご本人に会わなかったとうかがいました。

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この映画に参加すると決めた最初の段階で、監督と話してそう決めました。私はもともとルックスもあまり似ていないし、模倣をしようとすると無理が出てきてしまう。これは伝記映画ではありません。私たちが描いたのは“ゴダール”ではなく“ジャン=リュック”というひとりの男性、そして“アンヌ”という女性の物語。見ておわかりのとおり、ルイ(・ガレル)は、見た目も話し方も、よりゴダール風の造形をつくりあげました。そのバランスをとるために、私自身は、もっと抽象的な存在にしようと思いました。ゴダールの作品に出てきた女性たち、あるいは60年代のアイコンと呼ばれる女性たちを象徴するようなキャラクター。たとえば私が映画のなかでしている髪型は、『男性・女性』(1965)のシャンタル・ゴヤにインスパイアされた部分が大きいです。

——ヴィアゼムスキーさんとは、撮影後にはお会いされたのでしょうか。

昨年のカンヌ映画祭での公式上映の直前にお会いしました。レッドカーペットまで車で移動する際、ふと誰かにドレスの裾を踏まれていると気づきました。後ろをふりむき、ひとりの女性と顔を見合わせると互いに謝りあいました。そしてお互いに誰であるのか気づいたのです。

——彼女は、この映画について何か話をされましたか。

いいえ、映画については何も言葉は交わしませんでした。でもそれはいいことです。ニュースがないのはいい知らせだ、というのが私の人生のモットーなので(笑)。それに言葉なんて必要ありませんでした。彼女はすでに試写で映画をご覧になっていて、その出来を気に入ったからこそ公式上映の場にも参加してくれたのですから。互いの手をにぎりあい、レッドカーペットの階段を登る短い時間のなかで、私たちのあいだには沈黙だけがありました。尊敬の念と理解の気持ちにあふれた、穏やかな沈黙でした。どんな分析よりも大きな意味があったと思います。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

——撮影にあたってゴダールの作品、そしてトリュフォーの作品もたくさん見たそうですが、特にお気に入りの作品はありますか。また他に好きな監督がいれば教えてください。

ちょうどパリへ撮影しに行ったときに、デジタルリマスター版の『男性・女性』が上映されていて、ゴダールの作品を映画館で見られるというすばらしい体験ができました。ゴダールの『恋人のいる時間』(1964)もこの映画をつくるうえで参考になったし、トリュフォーの『アメリカの夜』(1961)にも強い影響を受けました。監督もこの映画の色彩を今回の映画に反映されたようです。他の好きな監督たちといえば、まずは以前一緒に仕事もしたラース・フォン・トリアー。彼は、私たちの時代でもっとも革新的な名匠のひとりだと思います。彼はある事件によってカンヌ映画祭を追放され、今年ようやくカムバックを果たしたわけですが、彼が会場に入ってきたとき、10分間もスタンディングオベーションが続きました。偉大なアーティストがカンヌへ戻ってきた、その祝福の瞬間に立ち会えたのは幸福な経験でした。

独特のスタイルを持つタランティーノも、とても映画的で娯楽的な作品を次々に生み出しているし、私の家のDVD棚にたくさん揃っているのはクロード・シャブロル。最近、ジョン・カサヴェテスとも幸福な出会いがありました。フィルム上映をしているCLOSE-UPという映画館がロンドンにあり、そこでカサヴェテスやロバート・アルトマンといった作品をたくさん見ることができたのです。若い監督たちにもおもしろい人たちがたくさんいます。『シークレット・オブ・モンスター』で仕事をしたブラディ・コーベット、今回のカンヌへ一緒に『Joueurs』を持って行ったマリー・モンジュ監督……このリストは永遠に続きそうです(笑)。

© LES COMPAGNONS DU CINÉMA – LA CLASSE AMÉRICAINE – STUDIOCANAL – FRANCE 3.

——今年のカンヌ映画祭にはゴダールの新作も出品され、賞を授与されましたね。今のフランス、またはヨーロッパの若い人たちにとって、ゴダールの映画はどのように見られていると思いますか。

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神のように思われている存在ですね。カンヌ映画祭で、ゴダールはFacetimeで会見をするという驚くような手法をとっていましたが、私が思うに、こうすることで、彼は我々の生きる現代社会、人々のコミュニケーション方法について建設的な批判をしてみせたわけです。ゴダールの映画は、50年、100年経っても私たちに響く、そしてどんな時代でも現代的だと感じさせる作品です。自分の作品とはこういうものだという定義を、常に自ら刷新するアーティスト。私たちはそういう人を求め続けていると思います。

——俳優として、作品選びのうえで一番大事にしていることは何ですか。

何より監督が重要です。監督は、すべてのトリックを操るマジシャンであり、パレットと筆をもって作品を描く画家でもあります。同じ脚本でも、ブラディ・コーベットの手によるものと、リドリー・スコットの手によるものとでは、まったく別の作品になる。俳優としてもっともわくわくするのは、監督たちとのコラボレーションです。いかに自分が彼らのヴィジョンの一部になるのか、カラーパレットの一部になれるのか、そこにいつも興奮します。

——『グッバイ・ゴダール!』で描かれたような、年上の男性の監督と、若い女優が彼のミューズになるという物語は普遍的で、美しい物語でもあります。ですが、ジェンダーバランスも当時とは大きく変わってきた現在においては、その関係性はただの美しい物語にはなりえない気がします。こうした監督とミューズの関係についてはどう思われますか。

私自身、ミューズという言葉は嫌いです。今や、この言葉にはあまりにもロマンチックなイメージがつきすぎています。でも映画のいいところは、過去のこと、そして今を生きる私たちの行動について議論をできる場であることです。おっしゃるように、ジェンダーバランスも、人と人との関係のあり方も、昔とは大きく変わってきている。この映画は、フラッシュバックを引き起こすような側面を持っているかもしれない。これは、あるひとつの時代についての物語なんです。映画の最後、アンヌは、自分の選択によってこの関係から解き放たれていきます。彼女の自立、それを最後に描くことで、この物語と今の時代は違うんだということを表現しているんだと思います。

『グッバイ・ゴダール!』
7月13日(金)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

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