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      photography Takashi Ogami 13 July, 2017

      ハービー山口が見たパンクロック、ニューウェーブ黎明期のロンドン

      イギリスのパンクムーブメントは、現在も多くの人たちに影響を与えている。当時、ロンドンに住んでいたハービー山口は、パンクが生まれるのを目の当たりにしてきた。そこで彼は何を見て、どう感じたのだろうか。

      ハービー山口が見たパンクロック、ニューウェーブ黎明期のロンドン ハービー山口が見たパンクロック、ニューウェーブ黎明期のロンドン ハービー山口が見たパンクロック、ニューウェーブ黎明期のロンドン

      1970年代のイギリスのユース・カルチャーを語る上で、パンクの存在は欠かせないだろう。多くの人たちがパンクに影響を受け、そこからまた新しいカルチャーを生み出してきた。写真家のハービー山口は、そんなロンドンにおけるパンク、そしてニューウェーブ黎明を間近に経験し、写真に撮り収めてきた。それらをまとめたシリーズが『You can click away of whatever you want: That's PUNK』だ。その写真集発売を記念し、原宿BOOKMARCにて展示会を行った彼に、当時の話を振り返りながら話を聞いた。

      このシリーズについて教えてください。
      1970年代から80年代にかけてのパンクロック、ニューウェーブの黎明期のロンドンで、自分の目の前で起きていたことを撮影したものです。パリのギャラリーの方に写真を見せたら、ミュージシャンたちの素顔が見えると面白がってくれ、それをまとめた展覧会をパリのギャラリーですることになり、その流れで写真集を作りました。西洋の人からすると、日本人があのような写真を撮っていたことが新鮮だったのでしょうね。被写体のミュージシャンがリラックスしていて、計算して撮られた写真にはない魅力に興味を持ったのだと思います。

      どうしてロンドンに行こうと思ったのでしょうか?
      音楽が好きだったからです。グループ・サウンズやJ-POPも好きだったし、大学時代は当時のトレンドだった銀座や渋谷のジャズ喫茶でマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンを聴いていました。ピンク・フロイドなどのプログレも好きでしたね。もう一つは、大学を卒業した時に就職試験でどこも受からなかったから(笑)。日本は僕を必要としていないと思いました。カメラマンになりたい気持ちは中学生の頃からあったので、観光ビザで滞在可能な半年間ロンドンに行って、写真をたくさん撮って日本に帰って個展をすれば、それをきっかけにフリーランスの写真家になれると思っていました。お金もなかったので親から借りて、人生の賭けでしたね。今となれば一社も受からなかったのが幸いで、もし受かっていれば今の僕はないです。

      彼らとは、どうやって知り合ったのでしょうか?
      偶然ですね。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージは、僕が居候していた家に別のルートから彼も来て、同じフロアをシェアしていました。あと、お金がなくビザも切れそうだったので、少しでもお金が入ってビザを延長する方法を探していたら、友達がツトムヤマシタという日本人の劇団がロンドンにあって、役者を募集していると教えてくれたんですね。それだと思いオーディションに参加したら受かって、役者として100回ほど出演することになりました。この劇団が面白い劇団で、セリフがなく、後ろにロックミュージシャンが演奏している。そんな環境にいたので、ミュージシャンとは自然に知り合いになっていきました。そこでサンタナのドラマーだったマイケル・シュリーブと出会い、彼の友達であるスティービー・ウイングとジミヘンのドラマーだったミッチ・ミッチェルとも知り合い、ミュージシャンとの交流が増えていきました。

      当時の音楽シーンはいかがでしたか?
      僕がロンドンで住み始めたのが1973年で、その3年後の1976年にパンクが世に出てきました。その直前の1974年頃には、テムズ川にあった何百平米もある大きな空き倉庫にただ同然で住んでいました。そこは、元々海運で運ばれて来た物資を保管する倉庫だったのですが、鉄道輸送に変わって倉庫が無用の長物に変わって使われなくなり、アーティストたちがそこに住み着いて、たくさんの人が出入りしていました。映画監督のデレク・ジャーマンもいましたね。僕が住んでいた倉庫のちょうど隣がリハーサルスタジオで、そこから変な音楽が毎日聞こえてきたのですが、今思えばそれがパンクだったと思います。そこで行われた、ある彫刻家のパーティーで演奏したバンドはセックス・ピストルズになる前の彼らのバンドでした。

      世間から見た彼らのイメージと、実際に会った時のイメージは違いましたか?
      ジョニー・ロットンはすごく頭が良かったです。暴れん坊のシド・ビシャスとは逆で、ちゃんと自分のことを考えていた。PiL結成の記者会見でも、「ピストルズとは真逆のカルチャークラブというバンドが出てきましたが、ボーイ・ジョージについてどう思いますか?」という記者の問いに、普通のパンクだったら「ラビッシュ(=くだらない)」と言って終わりますが、そこで「ボーイ・ジョージはいい声をしているよね」と冷静に答えていました。

      撮影したバンドの中で、一番印象的なバンドは誰ですか?
      100組ぐらい撮影したと思いますが、その中でも全くの無名ですが、バンドとバンドの合間にパフォーマンスする人で、皮のブーツを履いて坊主の屈強な男が、30分も一人でトタンの板を何十枚も引き摺り回していたのは印象的でした。観客からは「ビースト」と野次られていましたが。
      あと、クラッシュのジョー・ストラマーに地下鉄で遭遇した時に、親しくなかったし、プライベートなのでどうしようかと思っていたのですが、偶然にこんなところで出会うのはあと10年ロンドンに住んでいてもないだろうと思い、撮っていいか聞くだけ聞いたら、撮らせてもらうことができました。電車が駅に着き、彼が降りる時に振り返って僕に言った「撮りたいものは全て撮るんだ。それがパンクだろ!」、その言葉がこのシリーズのタイトルになっています。当時は自分も30歳になる頃で、日本を出て9年経ち、写真家としてこれからやっていけるか少し弱気になっていた時期だったのですが、その言葉が僕の肩を押してくれて、そこからまた挽回できた気がします。言葉は40年経った今でも生き続けていますし、それを伝えていくのが自分の使命だと思います。
      パンクというのは、1976年のピストルズ、クラッシュ、スージー・アンド・ザ・バンシーズといった音楽だけでなく、「やりたいことをやれ、それがパンクだ」というもっと広い意味のものです。パンクロックが好きじゃないからといって耳を閉ざすのではなく、妥協のない人生を送るために、過去に縛られずにポジティブな気持ちを持つことが大事です。

      i-Dの読者に一言お願いします。
      やりたいことに挑戦するべきです。あと、大きな仕事をする写真家がいる一方、小さな仕事しか撮らない写真家もいます。自分も大きな仕事をする人を羨ましく思っていましたが、今思えば小さな仕事でもこうやって撮影することで、海外でも注目される展覧会に発展しました。どちらも優劣をつけずに自分の立ち位置でしっかり続けることが大事だと思います。

      Credits

      Text Takashi Ogami

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      Topics:photography, interview, harbie yamaguchi, music, you can click away of whatever you want: that's punk, bookmarc

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