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      film Hannah Ongley 17 March, 2017

      『お嬢さん』とヒッチコックの距離

      カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞した、新作『お嬢さん』をひっさげて帰ってきた韓国の鬼才パク・チャヌク。彼が韓国のホモフォビアとこの映画の関係、ユーモアの力、なぜ男性制作陣がセックスシーンの撮影を「クリスマスのようだ」と思ったのか、を語る。

      『お嬢さん』とヒッチコックの距離 『お嬢さん』とヒッチコックの距離 『お嬢さん』とヒッチコックの距離

      新時代のフィルム・ノワール復習劇『オールド・ボーイ』で一躍その名を世界に轟かせた韓国のパク・チャヌク(박찬욱)監督だが、最新作では作品上映の途中で観客が退出しなかったことに、まずは胸を撫でおろしたという。サラ・ウォーターズが2002年に発表した小説『荊の城』をもとに、舞台をヴィクトリア王朝時代イギリスから1930年代の韓国へ移し、チャヌク監督は魅惑的でエロチックなレズビアン映画『お嬢さん(原題:The Handmaiden)』を作り上げた。私も観させてもらったが、率直な感想は「この映画の途中で他のこと――例えばトイレや飲み物のために席を立とうなどと考えるひとの気がしれない」というもの。それほど、息もつかせぬスリリングな作品となっている。実際、この映画こそは、今年のカンヌ国際映画祭で最も話題となった作品のひとつだった。しかし、監督にとって一番喜ばせるのが難しいのはカンヌの映画関係者などではなく、彼を崇拝しているファンたちと、韓国の、特に古い世代の原理主義的プロテスタントたちなのだそうだ。韓国の旧世代プロテスタントたちにはホモフォビアが多く見られる。「嬉しい兆候が見られた」とチャヌク監督は言う。「ほとんどの一般観客はただ『良い作品を見たい』『好きなスターを見たい』と映画館に足を運んだはず。批判的な意見を覚悟していたが、ほとんどの観客が同性愛を自然なことと受け止めて映画館を後にしてくれたようで嬉しかった」。『お嬢さん』は難解なアート映画などではない。映画界のメインストリームに揺さ振りをかけるメインストリーム映画だ。

      前作同様、今作にもそれ相当の量の血が見られはする。しかし、今作で扱われる血は、エンドロールが流れ、映画館の照明が明るくなってからもずっと観客が考えさせられ続ける類いの、より深く秘められた要素として扱われている。『お嬢さん』は様々な思惑や偶然が絡む3つの章から成り、すべての章に息を飲むようなヴィジュアルと、多文化が交差した1930年代東アジアの政治的背景、そして人間という存在の奥深さを見事に浮き彫りにするふたりの女性によるSMタッチのラブシーンが描かれている。貴族の娘"お嬢さん"のヒデコ役にはキム・ミニ、ヒデコの財産を狙う伯爵に雇われた刺客スクヒ役には新人のキム・テリが配され、ふたりの演技は国内外で大きな反響を呼んだ。歳を重ねることでフェミニンな部分を自身の中に見出せるようになったことについて、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックから意識的に距離を保っていることについて、そして『アデル、ブルーは熱い色』と比較されることがいかに無意味であるかについて、チャヌク監督がi-Dに語ってくれた。

      小説『荊の城』を知ったきっかけと、なぜそれに惹かれたかについて教えてください。
      『オールド・ボーイ』のときと同じく、プロデューサーのシド・リム(Syd Lim)が「これを映画にするのはどうだろう?」と小説を私のところに持ってきたのがきっかけです。作者のことは知りませんでしたが、読んでみたら気に入ってしまい、サラ・ウォーターズの小説をすべて買って読みました。『荊の城』で気に入ったのは、女性ふたりの最初のセックスシーンでした。映画では「ヒデコ」とした小説でのモードが、下女のスーザンに「男はベッドで女に何を求めるの?」と訊くんですが、下女はそこで実演して見せるんです。本人たちは本当の気持ちを隠して「これはただ教えてもらっているだけ」「教えているだけ」というふりをして実演するわけですね。スーザンはモードにベッドの中ですべきことを見せてあげているように演じる。その「パフォーマンス」という部分にとても惹かれたんです。本当の気持ちを隠して演技をしているというところに。

      今作では、身体的な面よりも感情的な面に重きが置かれています。あなたは以前、「歳を重ねるごとにフェミニンな面を自分に見出すようになった」と語っていましたが、若い女性と中年男性に感情的な共通点があるのはなぜだと思いますか?
      誰にでも女性的な部分と男性的な部分が内在するのだと信じています。男が歳を重ねるにつれて自身の内面に女性的な側面を見出していくのは、普遍的な現象なのだと思いますよ。私が妻と娘と3人構成の家庭環境に暮らしているからかもしれませんが、私は日に日に自分のフェミニニティ(女性性)を自らに見出しています。でも、それが人間として成熟するということなのだと思います。かつてはただただ可愛かった娘が、今では私と対等に会話ができるまでに成長している。それが、私が自らのフェミニニティに素直に向き合うことができる理由なのかもしれない。

      劇中で悪役として登場する人物たちは、日本から韓国に持ち込まれた西洋文化の要素に傾倒しています。この作品で、なぜそれが重要なのでしょうか?
      韓国がどのように近代化されたかを捉え、観客に見てもらいたかったのです。韓国では、自分たちの文化が諸外国の文化より優れていると考える風潮がありました。特に日本の文化には優っていると長い間教えられ、そう誰もが信じてきた歴史があるのです。韓国は外界から自らを遮断する壁を作り、頑なにそれを守りました。そこに日本が壁を壊し、日本を通して西洋文化がなだれ込んできたのです。それと同時に近代科学や近代技術も韓国に入ってきました。劇中のコウズキは、まさに雪崩のように韓国に入り込んできた近代技術や科学、そして最新文化に戸惑った当時の韓国人を体現した存在です。壁をこじ開けて入ってきたとはいえ、劇中にも当時の韓国にも、日本に好意的な韓国人はいたのです。近代化された日本と、日本が韓国に持ち込んだ西洋文化を積極的に評価する韓国人たちが少なからずいたというのも確かな歴史なのです。

      2016年、韓国で同性愛はどのように受け入れられているのでしょうか? 国民の進歩に、映画が果たせる力は大きいと考えるのはなぜですか?
      同性愛に関しては、国内で意見が真っ二つに分かれています。まず、古い世代がいて、同性愛に嫌悪感を示す原理主義的プロテスタントが人口の多くを占めているという事実があります。しかし、現代の若い世代は全体的に、同性愛に関してとても寛容で、それを問題として捉えていないのも事実です。上の世代と若者世代のあいだに、そのようなギャップがくっきりと存在しているのが現在の韓国です。同性婚を合憲としようというムーブメントも見られますし、韓国国内の大都市ではLGBTのパレードが開催されてもいます。そして多くのインディペンデント系の映画監督たちが同性愛を主題とした作品を撮っています。そういった人々の頑張りがあったからこそ、いま私のような者がメインストリーム映画として同性愛を扱った作品を作り、発表できるのだ、と私は頭が下がる思いです。彼らの努力が実を結んだ結果として私がこの映画を作れたように、私の映画そのものと、その商業的・評価的な成功がこの国の未来に寄与できるよう心から願っています。

      劇中のセックスシーンにはとてもユーモアが感じられますね。ともすればシリアスになるシーンに、あえて冗談を織り交ぜたのはなぜですか?
      物語が深刻になるにつれ――もちろんこの映画が同性愛を扱っているという事実があり、それによって観客の一部が不快に感じる結果も予測できたからですが――セックスという行為にユーモアを織り込むことが重要だと考えるようになりました。もしも一般の平均的な観客が「あのふたりがやっていたこと、違和感なかったな」と考えながら映画館を後にしてくれたなら、それはシーンに織り交ぜたユーモアがいくばくか功を奏したからなのだと思います。この映画に取り入れたユーモアは、過去に私がこれまでの作品で使ったユーモアの類いとは異種のものです。これまでの復讐劇では冷徹でシニカルなユーモアを扱ってきた私ですが、今回はより温かみのあるユーモアを織り込もうと努めました。

      カンヌで上映された際、この映画は『アデル、ブルーは熱い色』とよく比較されましたね。あなたは以前、ヒッチコック映画への愛から「役者たちを小道具のように扱ってきた」と発言しています。今回はその考え方から前進して、ふたりの主演女優のあいだにポジティブな関係を作り上げたそうですね。
      性別にかかわらず、セックスシーンの撮影は楽しくもなりうるものだと私は思います。でも身体的にも精神的にもとても疲れる撮影でもあり、それをよく知っているからこそ私は可能なかぎり思慮深くあろうと心がけました。まず、脚本を手渡す前に、私は女優ふたりに「この映画はこういうシーンが複数出てくる。セックスシーンはできないということであれば、脚本は見せない」と告げていました。脚本で、私はシーンを細部まで克明に指示していました。セックスシーンは絵コンテを描いたほどなので、それらのシーンは最も詳細に書かれていたわけです。正確に描かれるべきシーンだったのです。絵コンテを俳優たちに見せて「このシーンはこの角度で撮る。カメラは君たちの体のこの部分のみを捉える。なにか不自然だったり不快に感じることがあれば教えてほしい。脚本に変更をほどこすから」と伝えました。リハーサルでは、服こそ着たままでしたが、詳細な動きを確認しながらカメラ位置や照明を考えていきました。セックスシーンは、他のシーンに先駆けて撮影しました。他のシーンの撮影中にセックスシーンのことを考えて不安に思ったりしてほしくなかったのです。

      セックスシーンの撮影では、私以外の男性クルーにはセットの外に出て行ってもらいました。撮影監督やカメラマンもです。カメラの操作は遠隔操作で行なったくらい徹底して、セットでは女優2人にプライベートな空気を作り出してもらいました。マイク担当も、その日のためだけに女性を器用したんですよ。女優ふたりが撮影の合間にリラックスして休憩をとれるよう、セットの隣にプライベートな部屋を作ったりもしました。部屋の照明は薄暗く保ち、彼女たちが必要なだけ休憩をとらせました。そして、実際の撮影ではあまり強欲にならず、1-2テイクで済むよう細心の注意を払いました。あれらのシーンの撮影日は、男性クルーたちにとってクリスマスのようだったでしょうね。まったく働かなくてよかったんですから。

      Credits

      Text Hannah Ongley
      Images courtesy of Magnolia Pictures
      Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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      Topics:culture, film, the handmaiden, south korea, lgbtq, park chan-wook

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