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      think pieces La JohnJoseph 7 March, 2017

      クィアをクールにした男:デヴィッド・ボウイ

      ジギー・スターダストとして地球に着陸したデヴィッド・ボウイはクィア(セクシュアル・マイノリティ)のイメージ像を一新した。

      クィアをクールにした男:デヴィッド・ボウイ クィアをクールにした男:デヴィッド・ボウイ クィアをクールにした男:デヴィッド・ボウイ

      ヒッピーたちの夢が崩壊していた1972年、デヴィッド・ボウイはその分身「ジギー・スターダスト」として地球に強制着陸した。そしてその瞬間から、ポップカルチャーは活気を取り戻し、改革されていった。その含みのあるヴィジュアル(中性的でグラマラス、ぞっとさせると同時にエロティックで雄弁)でボウイは反抗的、魅惑的、そしてパワフルな"クィア"のセクシャリティを体現する化身となった。

      『ハンキー・ドリー』のおぼろげで素朴なフォークから『ジギー・スターダスト』の仰々しいエレガンスまで変幻自在に姿を乗り換え、5枚目のアルバム発表した時点で、ボウイはすでにささやかな成功を手にしていた。まだスーパースターではなかったが、英『NME』誌に「私はゲイです。常にそうでした」と語った際に、彼が失ったものは多い。この発言は(『ジギー・スターダスト』の発売を前にしてメディアの注目を最大限集めようとした売名行為と見られることも多いが)、彼のキャリアにプラスに働くより、むしろ台無しにする可能性が高かった。どの程度「ゲイ」なのかを問わず、大成功の入り口に立っていた彼が同性愛者であることを告白し、全てを危険に晒したことにより、クィアが大胆で勇敢であることを示した。

      ヒールを履いてレザーを身にまとい、眉は剃って、口紅とラメでメイクをし、マニキュアを塗った指を誘惑的にカメラの前に突き出しながら、ギタリスト、ミック・ロンソンの肩にもたれかかる彼は、クィアのイメージを一新した。1972年の時点では、オスカー・ワイルドのように、豪華な衣装に身を包み、貴族的で、謎に包まれていて、最終的に悲惨な運命を辿るのが典型的なクィア像だった。ジギー(ボウイ)はそれとは相容れないクィア像を提唱した。それは、労働者階級出身で、肌を大胆に見せたルックスをし、危険な香りをまとっており、セックスを力強くアピールしたものだった。

      性的な表現を積極的に取り入れることで、彼は「悲劇的なクィア(ハリウッド映画では常に罰せられ、小説では死ぬことになる)」というイメージを払拭し、パワーと喜びに満ちたクィア像へと塗り替えた。クィアは悩み苦しむのではなく、大いに満喫すべきであり、耐え忍ぶものではなく、望ましい対象なのだと。クィアというセクシャリティは、常に自由の最前線にある。その試みと経験がより広い社会へと波及していく。ボウイが両性具有な不良の性的魅力のポテンシャルを提示してみせると、ストレートの男の子達もマニキュアを塗りアイラインを入れ始めた。そのほうがグラムロック好きな女の子達の気を引きやすいからだ。

      ボウイは無名アーティストのスタイルを真似して、ゲイ解放のレトリックを個人的利益のために利用したのだ、という冷笑家もいる。後にイマンと結婚し、2人の息子を持ったことを考えるとそのような意見も無視することはできないが、そのような判断を下すのは短絡的すぎるだろう。実際、ボウイには多形倒錯的なところがある。彼の性遍歴には、遊びとしての同性愛やステージ上における注目集めの行為だけでなく、ボウイを「自分の人生の光」と称えたイギー・ポップや、彼をベルリンに移住させたトランスジェンダーの女帝、ロミー・ハーグとの長い同性愛関係が含まれる。2003年、ジョナサン・ロスの「あなたはバイセクシュアルだったのですか、それともパンセクシュアル?それともトライ(試し)セクシュアルだったのでしょうか?」という質問に、ボウイは「単純に幸せでした。私はたくさんのセックスしたんだ」と答えた。これ以上、的を得たクィアの定義があるだろうか?

      確実に言えるのは、クィアの人たちはボウイを崇拝しているということだ。クィアの体験をメタファーとして、地球を訪れた異星人というペルソナをかぶり、それまで誰も大声でいうことができなかった言葉で観客に語り続けた。彼の訃報を知り、世界中のクィアな仲間たちは嘆き悲しんだ。ベルリンでは、ボウイが以前住んでいた家の外で、ファンたちが参列し、キャンドルに火を灯していた。イスタンブールにいる友人たちは彼を追悼し一晩中飲み明かしたという。コペンハーゲンでは、ボウイの格好をしたセルフィーを投稿していた。

      ボウイはクィアのサブカルチャー、ドラァグクイーンからヒントを得て、リンジー・ケンプやアンディ・ウォーホールのようなクィアのアーティストから直接的な影響を受けている。彼はクィアから影響を受けたクィアなのだ。彼は、ゲイの権利闘争や、ニューヨークの「The Playhouse of the Ridiculous」という魅力的な劇場の活動に接近していったし、ジャッキー・カーティスやジェイン・カウンティといった本当に型破りなドラァグクイーンたちとも知り合いだった。「ボウイは名を売るために彼らを真似し、ドラァグクイーンの文化を売った」という人には、こう返答しよう「アーティストが売るわけではなく、大衆が買い求めるのだ」。

      運とルックス、才能、タイミングがどのように組み合わさったのかは知らないが、ボウイの周囲には旋風が巻き起こり、彼はクィア・カルチャーの避雷針的存在となった。彼から挑発していたわけではない。裕福でトランスジェンダーでもない白人男性である彼が、クィア解放運動のシンボルになったことで注目を浴び誹謗中傷の的となったのだ。しかし先頭に立って戦う必要はない。彼は道化役になることを選んだ。ボウイは、自分が声を出すことができる立場にあることを自覚し、メディアを通してクィア・カルチャーを発信していった。

      彼の偉業のなかでも見逃すことができないのは、シャンソンからマイム、宇宙旅行からニーチェに至る様々なジャンルから影響をうけ、そこに彼自身の芸術的な考え、そして自分のセクシャリティを見出したことである。彼が我々に遺したのは、「個人の性別やセクシャル・アイデンティティは、影響を受けてきたものから一番しっくりくるものをブリコラージュし(組み合わせて見繕っ)て、自由に作り上げていけばいいのだ。」という力強い提案だ。

       ボウイがステアした、性的魅力や挑発、想像力、解放のカクテルは、挑戦的で儚いものだったが、そのゆえに、人々に強い影響を与えることとなった。ペルソナや態度、性的嗜好を大胆に変えてきたボウイは、「人をセクシャリティで分類することがどんなにナンセンスな冗談か」を皮肉にもはっきりと見せつけてくれた。バイセクシュアル、パンセクシュアル、トライセクシュアル。こうしたレッテルはすべて作り上げられたものである。そういったカテゴリーは必ずしも存在しない。一ヶ所に居すわることを拒み、アイデンティティを次から次へと変えていったボウイは、望めば望むだけ自由になれることをわたしたちに証明してくれたのだ。それも、クィアであることが最高に格好良く見えるやり方で。クィアが失望したり、ビジネスマンが同性愛を隠す必要はもうない。次は、その性的魅力のポテンシャルと比類なきスタイルでクィアが反逆する番だ。これこそ、定住したいと人々が羨むアイデンティティなのだ。

      関連記事:ボウイの公認フォトグラファー:ミック・ロック「DAVID BOWIE is」展 ジェフリー・マーシュ インタビュー

      Credits

      Text LaJohn Joseph
      Image wia Wikicommons
      Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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      Topics:think pieces, music, culture, david bowie, queer culture, ziggy stardust, gay rights

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