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      fashion Anders Christian Madsen 16 June, 2017

      ゴーシャより愛を込めて

      デザイナーで写真家のゴーシャ・ラブチンスキーはロシア出身。自身が作品のモチーフに反映しているのは、政治意識ではなく、あくまでも私たちが生きている今という時代なのだと語る。ロシアの若きスケーターやアーティストを集めた美しいギャングが体現するゴーシャのファッション・ムーブメントは、これまでに世界が見たことのない“詩的な男性性”を打ち出している。カリーニングラードで行われたGosha Rubchinskiyのショーで、ゴーシャ自身がその世界観を写真に収め、見せてくれた。

      「世界中の労働者たちよ、団結のときがきた!」——ソビエト連邦共和国は人民のための大きな理想とともにこの共産主義のスローガンを掲げ、人民はこれを唱えた。しかし、初代ソ連最高指導者レーニンの理想も虚しく、そこに込められた思いは70年間叶わないまま、1991年、ソ連は崩壊した。だが、2017年1月の雪降るカリーニングラードで開催されたGosha Rubchinskiyのショーを見たら、そんなレーニンも思わず微笑んだだろう。バルト海に面し、ポーランドとリトアニアの間にある飛び地のロシア領、カリーニングラード。ゴーシャ・ラブチンスキーは、モスクワの才能溢れるユースをこの土地に集結させた。そこに集まった若きモスクワ人たちにとって、これはとびっきりパーソナルな経験だったに違いない。「ロシアというと政治を思い浮かべる人が多い。そこで、本当のロシアを見せたいと考えました。パリではなく、ここに人々を招いて"ロシア"を見せたかったんです」と、現在32歳のラブチンスキーは、カリーニングラードのラディソン・ホテルでクラブハウス・サンドイッチを食べながら、終えたばかりの2017年秋冬コレクションのショーを振り返る。下の階では、ラブチンスキーとともに作り上げたショーの成功を祝う5人の若きロシア人たちが祝杯をあげていた。ショーは、彼らが過去数年間で生み出してきた世界観の集大成だった。彼らが知る美しいロシア、そしてロシアへのノスタルジアをファッションで具現化することで、彼らは一大ムーブメントを巻き起こした。政治ばかりを取り沙汰する欧米メディアからはこれまで決して見えてこなかった真のロシア——これが、ラブチンスキーが世界に伝えようとしてきたロシアだ。

      飛行機がクラブロボ空港に到着し、入国を済ませて到着ゲートを出る。空港には郷愁さえ感じさせる雰囲気があり、館内のショップにはプーチン大統領の肖像を民芸品にした土産が並んでいる。館外へと歩いていると、スマートフォンに速報が入る。「2016年11月にロシアが核弾頭搭載可能弾道ミサイルを配備したことを受けてNATO北大西洋条約機構がカリーニングラードとポーランドの国境周辺に多国籍軍部隊を配置」とBBCは報じていた。2014年にロシアがウクライナのクリミア自治共和国に侵攻したことを受け、リトアニアがカリーニングラードとの国境周辺にフェンス設置計画を進めている、と。「ゴーシャだけが唯一、ロシアのポジティブな面を打ち出してくれる」と17歳のモスクワ出身アーティスト、ヴァレンティン・フファエフ(Valentin Fufaev)は言う。彼の目を見ていると、今にも吸い込まれてしまいそうになる。ヴァレンティンとゴーシャの出会いは、2年前にさかのぼる。ヴァレンティンがInstagramを通じてメッセージを送ると、ゴーシャが返信をしてくれたという。そしてそのなかでモデルとしての起用をもちかけられたそうだ。才能溢れる画家のヴァレンティンは、昨年、Dover Street Marketで自身のブランドDoublecheeseburgerVFをローンチした。Dover Street Marketは、このブランドを「presented by Gosha」として展開している。Dover Street Marketを運営するCOMME des GARÇONSはGosha Rubchinskiyの親会社だ。「今という時代、政治は口にするだけで辛い。話すべきではないとさえ思う。僕はCNNもBBCも、ロシアのニュース番組も見ないんだ。政治は最下級のアートだと思ってるから」とヴァレンティンは断固とした口調で話す。「ロシアのティーンは活気に満ちているよ。ゴーシャのムードを感じながらゴーシャで育っていて、誰もが彼の世界の一部になりたがっているんだ」と彼は続ける。

      モスクワのインターナショナル・スクールに通っているヴァレンティンの英語には、イギリス訛りがある。今年の夏には卒業する予定で、彼はそれを心待ちにしているという。ゴーシャが描く世界やファッションに無縁のクラスメイトたちとは相容れないのだそうだ。「奴らからしてみたら僕はクレイジーに見えるみたい。全くの正反対なんだ。奴らが夢中になってることは、僕から言わせればダサい」と彼は言い、セントラル・セント・マーチンズで美術を学びたいと語った。ファンたちは、ゴーシャの中にロマンチックに描かれた故郷ロシアを求める一方で、ロシアの外へと思いを馳せ、目を向けているのだ。そんな彼らのなかでも選ばれし者たちがカリーニングラードというゴーストタウンに集められ、ゴーシャがサッカーに着想を得て作り上げたファッションショーに出演した。次回のワールドカップはロシアで開催され、一部の試合はカリーニングラードでも行われることが決まっている。「音楽やサッカー、ファッションといった"人を団結させる力を持つもの"が好きなんだ」とゴーシャは言う。「場所というものは、インターネットや新聞で見たからといってわかるものじゃない。実際にそこに足を運んで自らの目で見なければわからないものだと思う。僕は自分の故郷ロシアを多くの人に見てもらいたいんだ。僕は今、たくさんの人が耳を傾けてくれる声を持っている。プレスに声をかければ、世界から人を集められる立場にいる。世界にロシアを見てもらうのは僕の使命だと思っている」。

      ロシアにとってゴーシャは親善大使のような存在だ。そして、そのゴーシャにとっての親善大使は、彼が率いるクルーだ。彼らはゴーシャへの献身を言葉ににじませる。これは、10代後半から20代という年代の男たちにはあまり見られない姿勢だ。「性別を問わず、ゴーシャほど深く、そして大きな影響を僕に与えてくれた人はいない。彼が言うことはすべて正しいんだ」と、アーティストでありミュージシャンでもあるアーテム・ナヌシヤン(Artem Nanushyan)は話す。髪を剃り落とした頭と、無垢を体現したような澄んだ目が個性的なナヌシヤン。今回のショーにはスタイリングで参加している。彼がゴーシャと出会ったのは、2015年にモスクワで開催されたレイヴでのことだったという。「出会って10分も経たないうちに、ゴーシャはすでに僕の写真を撮り始めていたよ。それから約2時間、芸術から人生観まで、ありとあらゆることについて深く語り合った」とアーテムは振り返る。「ゴーシャは『ワクワクする! 幸せだ! これこそは僕が待ちに待った世代だよ!』と言ってた」。シベリアでの兵役を終えたばかりの色白の23歳、スケーターのイヴァン・シェミヤキン(Ivan Shemyakin)は「ゴーシャの手にかかれば、何でも美しいものになる」と言う。スケーターたちから聞かれる言葉としては珍しい響きだ。しかしゴーシャはこれに関して、謙虚にこう応える。「彼はチーム・ゴーシャだからそう言うんだよ」。ゴーシャは、彼らの実直で詩的な在り方の根幹にはスラブ系文化の伝統があると考えている。「それはロシア人全般の血に流れるものなのかもしれない。ドストエフスキーやトルストイの本を読めば、誰でも自ずと生命について考え、ロマンチックなノスタルジア、そして哲学的な人生観について考えてしまうものだと思うから」

      ロシアにとってゴーシャは親善大使のような存在だ。そして、そのゴーシャにとっての親善大使は、彼が率いるクルーだ。彼らはゴーシャへの献身を言葉ににじませる。これは、10代後半から20代という年代の男たちにはあまり見られない姿勢だ。「性別を問わず、ゴーシャほど深く、そして大きな影響を僕に与えてくれた人はいない。彼が言うことはすべて正しいんだ」と、アーティストでありミュージシャンでもあるアーテム・ナヌシヤン(Artem Nanushyan)は話す。髪を剃り落とした頭と、無垢を体現したような澄んだ目が個性的なナヌシヤン。今回のショーにはスタイリングで参加している。彼がゴーシャと出会ったのは、2015年にモスクワで開催されたレイヴでのことだったという。「出会って10分も経たないうちに、ゴーシャはすでに僕の写真を撮り始めていたよ。それから約2時間、芸術から人生観まで、ありとあらゆることについて深く語り合った」とアーテムは振り返る。「ゴーシャは『ワクワクする! 幸せだ! これこそは僕が待ちに待った世代だよ!』と言ってた」。シベリアでの兵役を終えたばかりの色白の23歳、スケーターのイヴァン・シェミヤキン(Ivan Shemyakin)は「ゴーシャの手にかかれば、何でも美しいものになる」と言う。スケーターたちから聞かれる言葉としては珍しい響きだ。しかしゴーシャはこれに関して、謙虚にこう応える。「彼はチーム・ゴーシャだからそう言うんだよ」。ゴーシャは、彼らの実直で詩的な在り方の根幹にはスラブ系文化の伝統があると考えている。「それはロシア人全般の血に流れるものなのかもしれない。ドストエフスキーやトルストイの本を読めば、誰でも自ずと生命について考え、ロマンチックなノスタルジア、そして哲学的な人生観について考えてしまうものだと思うから」

      公式パーティの会場は、カリーニングラードで絶大な人気を誇るスポット<アトランティカ>だった。チーム・ゴーシャの面々の多くは喫煙エリアにいた。通常、アフター・パーティといえば酒の入った若い男たちが、まるでそれが習わしであるかのように性的な話題で笑い、盛り上がるのが常だ。しかしゴーシャのパーティで彼らが交わしていたのは、軽い歓談ですらなかった。彼らは語り合っていた——生きるということ、愛するということ、そしてロシアの現状について。「もちろんセックスの話だってするよ」と、アーテムはホテルに戻ってから言った。「セックスの話もするようになったのは2年ぐらい前——自分は男で、だから友達とそういう話もしなきゃいけないなって悟ったんだ。でも感情やアートについて話すのが一番好きだし、ゴーシャの周りは皆そうだと思う。感情とアートは混じり気がないもの——もっと議論されるべきものだよ」。今回のショーには、ロシアの若者たちが「現実と夢」について話す音源がサウンドトラックとして使われていたが、これを手がけたのがアーテムだった。「名前はヴァレンティン・フファエフ、17歳。モスクワに生まれ、今もモスクワに暮らしている。勉強とドローイングと物作りの毎日。僕は、ただ存在してるだけじゃなく、生きている」「僕の名前はロディオン、17歳。シベリアのクラスノヤルスク生まれ。今までずっとクラスノヤルスクで暮らしてきました。詩を書いています。いつか、人々の世界観を変えられるような詩を書いてみたい」「今の僕は何者でもない。いつになったら自分を誇れるようになるんだろう? 僕の夢は、25歳になるまでに死んでしまわないこと」。

      数々の音源は、10代の若者が今も昔も普遍的に抱く不安の心情を吐露していた。続く音源では、ゴーシャ・ムーブメントの核をなす"ロシア人意識"が打ち出された。「暴力も抑圧もない社会が僕の夢」と、ヴォログダ出身のティオマは語り、モスクワ出身で現在は写真を勉強しているもうひとりのイヴァン(19)は「ファインダーを通して見る人は誰も、生きるのに疲れてしまっているように見えるんだ。ロシアの人々が幸せで自由に生きている姿を、いつかこの目で見たいね」と語っていた。ゴーシャに続く世代は90年代に生まれた。彼らにとって1991年のソ連崩壊を引き金にして起こった十余年間に及ぶ暗い時代は、教科書上の出来事となりつつある。「辛い思い出なんてないんだ。その時代、僕はまだ子どもだったから。『皆が飢えや貧困に苦しんでいて、食べ物をもらうにはチケットが必要だったんだよ』って、母や祖母が聞かせてはくれるけど」とスケーターのイヴァン・シェミヤキンは言う。シェミヤキンがゴーシャと出会ったのは3年前。現在はゴーシャとプロ・スケーターのトリア・ティタエヴがデザインを手がけるスケートボード・ラインPACCBET(ラスべート)のクルーだ。「ゴーシャのチームに属している僕たちは全員90年代生まれ。ロシアにとって苦しい時代に生まれたんだ」と彼は続ける。「それが世界を理解する上で役立っていると思う。世界を見つめるもうひとつの視点を知っているから」。

      ゴーシャは現在32歳。チームの誰よりも年上だ。子ども時代から10代前半までを過ごした90年代を、鮮明に覚えているという。あの時代に経験した貧窮は、彼にとって最大のインスピレーションとなっている。人々が物という物を修繕して使い続けた90年代——ポストモダンのモスクワで若者が作り上げたスポーツウェア・スタイルへの郷愁こそが、ゴーシャのインスピレーション源なのだ。ゴーシャは自身を、デザイナーではなく、コレクションや写真作品を通して思い出に色付けをし、ときにロマンチックにすら描く"イメージ・メイカー"だと言う。「僕はただ、僕の視点を見せたいだけ。何かを説きたいわけじゃない。僕が好きな物を世界に見せたいだけなんだ。それを良いと思ってくれる人と、それを共有したいだけ」と、ゴーシャは自身がロシアにこだわる理由について話す。彼はこれまで一貫して、作品に用いるモチーフについて「政治意識を反映するものではなく、ただ僕たちが生きている今という時代を反映しているだけ」だと主張している。2016年6月にフローレンスでショーを行ったときには、ムッソリーニ時代に建てられた廃工場を会場に選んだ。そしてその理由を、ファシズム時代を象徴するこの記念碑的建物が、同じ時代にロシアやドイツにも建てられた建築物を思い起こさせたからだと説明していた。「初めてこの廃工場を訪れたとき、故郷に帰ってきたような心持ちになったんだ。目に映るものに、とても心安らいだ」と当時、ゴーシャは説明していた。「でも同時に、ファシズムが統治していた時代の国々がどんなだったかについて思いをめぐらせた瞬間でもあった。自分の歴史を忘れちゃいけない」。そこでゴーシャは、『ソドムの市』を作る上でイタリアの映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニが持っていたであろう目的を引き合いに出して、自身の視点を説明し始めた。『ソドムの市』はフランスの貴族マルキ・ド・サドが1785年に書いた『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作として、舞台を原作の18世紀スイスから20世紀イタリアへと移し、パゾリーニは劇中の過激な描写やストーリーに現代社会への批判を込めた。この作品を完成させて間もなくして、パゾリーニは1975年に謎の死を遂げた。

      「問いかけたかったんだ。今のヨーロッパは? 今のイタリアは? 今のロシアは? とね。答えを示すんじゃなく、ただ疑問を投げかけたかったんだ。それはアイデアを示しただけの地図のようなもので、僕は今、世界で起こっていることにだけに目を向ける——今、世界に満ちているものに。それを好きかそうでないかは、見る人が決めれば良いことなんだよ」ヨーロッパが繰り返した戦争により引き裂かれたカリーニングラード——そこに今も広がる荒廃した景色こそが、ゴーシャの投げかけた問いの答えだ。13世紀中期から700年あまりの間、ケーニヒスベルクという名でドイツの一部として存在していたカリーニングラード。第二次世界大戦が終結した1945年、ソ連によって占領されて現在の州名となった。戦時中には多くの爆撃を受けたにもかかわらず、この地に700年間守られてきたプロセイン王国の文化は今も街並みに色濃く見てとることができる——後にここを統治したソ連の要素が加わり、むしろ80年代初期の映画『クリスチーネ・F〜麻薬と売春の日々〜』を思わせる趣きすらある。凍ったプレゴリャ川のほとり、1875年に建てられた旧ケーニヒスベルク証券取引所が陽の光を浴びて輝いている光景を向こうに、Gosha Rubchinskiyのショーは、これまでのゴーシャ作品にも共通していた"貧窮する土地と時代、そしてティーン・スピリット"という世界観を、またしても見事に描いていた。ソ連崩壊後ロシアの古着屋で売っていそうなお爺さんスーツのテーラリングや、サッカー・サポーターグッズのマフラー(キリル文字で「Гоша Рубчинский」というロゴが配されている)、そしてFIFAワールドカップの開催に合わせて行ったadidasとのコラボレーションなどに、ゴーシャの精神が溢れていた。「イギリスのサッカーファン文化と、ドイツのスポーツウェア文化、そしてロシアのスケートキッズ文化をミックスしたかった」とゴーシャは説明する。「ドイツのブランドとロシアのブランドがコラボレーションして作ったラインを発表するのに、カリーニングラードほど最適な場所もないからね」。背景の異なるカルチャーを融合させた世界観こそ、ゴーシャ作品の真髄なのだ。ソ連が崩壊した後、痩せ細っていくモスクワには西側諸国の文化がなだれ込んでいった。そして同時に、市民たちは世界との接点を与えられた。1996年、14歳だったゴーシャはi-Dや『The Face』などから記事を翻訳して掲載するロシアの雑誌に出会った。そこで受けた衝撃が、その後のキャリアの基礎となった。

      ゴーシャは、西側諸国には知られていなかったロシアの若者のスケート文化をファッション業界に見せつけた。それが2008年のGosha Rubchinskiyの立ち上げにつながった。現在はCOMME des GARÇONSとDover Street MarketでCEOを務めるエイドリアン・ジョフィのサポートを受けるまでに至っている。ジョフィはGosha Rubchinskiyのみならず、ゴーシャの傘下で活動するチームのプロジェクトのローンチもすべて支援している。そのうちのひとつが、22歳のプロ・スケーター、トリア・ティタエヴによるPACCBETだ。ティタエフがゴーシャと出会ったのは、Gosha Rubchinskiyが初めて行ったショーのキャスティングでのことだった。このとき、ティタエヴは13歳——それ以来、ティタエヴはほぼすべてのGosha Rubchinskiyショーでランウェイを歩いている。そう、彼はブランドの進化と、それを後押しするロシアのスケート文化の人気が高まっていくのを目の当たりにしたのだ。「以前は、ロシアに来ようと考えるスケーターは多くなかった。だけど今では、どんなスケーターも憧れる土地になっている」とトリアは言う。「誰もがロシアのスケーターのスタイルをマネしようとしている——ジーンズのカットや、ペイントを施したシューズなんかをね。僕たちのスタイルをコピーしようとしているんだ」。しかしカリーニングラードには、モスクワのストリートに見るような成熟したスタイルや感性は見られない。ゴーシャが町の武骨な魅力を見事に捉えた写真とともに、ゲストのために完璧なガイドマップを作っても、やはりその事実は変わらない。

      「建物はどれも素晴らしいよ。でも街は戦争で壊滅状態となり、歴史的な建物はほとんど残っていないんだ。だからロシア人が長期休暇でここを訪れることはない」と、ゴーシャのショーなどで印刷物の制作やサウンドトラックを手がけるパヴェル・ミリャコフ(Pavel Milyakov)は説明する。パヴェルはモスクワに育ち、その後はベルリンやバルセロナに暮らしたこともあった。「デザイナーやミュージシャンの友達の多くはベルリンに拠点を移したよ。ベルリンのほうが暮らしやすいからね。お金になる仕事のチャンスも多いし、可能性もモスクワよりたくさんある。モスクワで活動をするのは、ベルリンよりも大変だよ。でもモスクワ以外で暮らすなんて僕にはできない。クソみたいに降る雪や何だっていう、ロシア感なしには生きていけないんだ。僕に力を与えてくれるというかね。モスクワは天気も最悪だし、同じような形をしたグレーの建物が立ち並ぶ街。ベルリンにも同じような建物があるけど、モスクワのほうがハードな感覚があるんだ」。そこまで言うと、パヴェルは言葉を止めた。そして考えを巡らせた後、また口を開いた。「僕が感じすぎてしまうだけなのかもしれないけど」。パヴェルは自身の感受性が、ゴーシャの友達も繰り返し語る90年代の時代精神によって育まれたものだと言う——「自由が訪れるまで」あった「がんじがらめのソビエト」とパヴェルが呼ぶ時代精神だ。このテーマについてゴーシャは政治的に曖昧なアプローチを貫いているが、友人たちが90年代ロシアにいだいているロマンチックな視点ははっきりとしている。「そろそろ、ソ連とは何だったのかを考え直すべき時代がきているんだ」とイヴァンは言う。

      「90年代末頃、僕たちは『すべてが腐ってる』と思っていた——共産主義も、国のリーダーたちも、イデオロギーもね。でも、あの頃の良かったことを忘れてしまいがちだと思うんだ。そこには美しい文化があって、美しい人々がたくさんいた。美しいものが確かにあったんだ。それをもう一度思い出して、新たな角度から見つめ直すべきなんだよ」。23歳のスケート・キッズが口にするにはクサい言葉かもしれない。しかし、それこそがゴーシャの存在によって生まれた"若さと男性性の在り方"なのだ。アーテムは「世の中には、年こそ上だけどバカな人がたくさんいる。でも一方で、頭が良くて興味深い人もまたたくさんいる。とんでもなく興味深く、頭の切れる人物が、15歳だったりもするんだ」。思春期真っ只中のロシア人スケーターが数多く登場するゴーシャのショーのバックステージ——彼らが共通して持つ、スラブ系男性特有の力強い鼻筋や顎、髪を剃り落とした頭、そしてどこか憂いを帯びて無垢を感じさせる目を見ていると、あることに気づかされる。Gosha Rubchinskiyというムーブメントの顔となっている若者たちは、共通した独特な美を持っているのだ。アーテムやイヴァン、パヴェル、トリア、ヴァレンティンなど、ショーへの起用から友情関係にまで発展することも多いゴーシャのモデルたち——どのようにモデル選びをするのかという問いに、ゴーシャは「感覚」と答えた。「その人に何か特別なものを感じれば起用する。見た目の美しさじゃない。Gosha Rubchinskiyのショーに関わるにはそれ以上のものが求められるんだ」

      Credits

      Text Anders Christian Madsen
      Photography Gosha Rubchinsky
      Translation Shinsuke Kuriyama at WORDSBERG Inc.

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      Topics:fashion, fashion interviews, photography, gosha rubchinskiy, russia, kaliningrad, the break the silence issue

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